国家のプライドの方は、人々の気持ちの問題であり、より難しい論点です。利益に関する問題は、良くも悪くも、最後は足して二で割れば大体おさまるわけですが、信条の問題ではそうもいきません。しかも、戦後日本はすでに殆どの国家から好かれ、尊敬されています。なにも、気分が良くなるために言っているのではなく、様々な調査を通じて実証されていることです。
その唯一の例外といっていい分野が、いくつかの国が提起する過去の戦争をめぐる歴史認識の問題です。戦後七〇年のリスクは、プライドを維持する目的が過剰に慰安婦問題など歴史問題のダメージコントロールに向いてしまい、政権がむきになって対応してしまうことです。過去は、そもそも変えられないのだし、日本という国家のプライドを満たす外交の中心に歴史問題を置くことはありえません。
外交とは相手の存在を前提としたゲームです。そこにおいて、こちらにとって譲れない信条の問題は、多くの場合、相手にとっても譲れないものです。だからこそ、日本の外交当局の歴史問題に対する伝統的なアプローチは、「なるべく触れない」というものでした。しかし、この戦略が成功するためには、相手側もこの問題には触れないという紳士協定が成立する必要がありました。であるからこそ、歴史問題に触れられそうになる度にビクビクするという状態が長らく続いてしまったのです。それぞれの国の国内事情によりもはや紳士協定は崩れています。自民党や野党にも、主張する外交への支持が高まっている中で、もはやこの戦略は持続できません。
では、どうするか。私は、日本が、したがって総理が、日本の普遍主義を新しい言葉で語ることが重要だと思います。過去の戦争の責任を否定することに熱心になるのではなく、過去の戦争の教訓を、現代の日本という国が信じている普遍的な原則にまで昇華させ、現代に当てはめた主張をすべきなのです。
人類は、攻撃的戦争の教訓から学ぶべきだ。攻撃的戦争は武力による紛争の解決や軍拡競争が誘発する。だから、国境線の力による一方的な変更には反対だ。だから、不透明な軍拡には反対だ。社会が成熟し自由が認められなければ戦争反対の世論も生まれにくい。だから、自国民から基本的な人権を剥奪することには反対だ、と揺るがぬ自信をもって主張すればいい。日本の歴史に暗い部分があったとしても、七〇年間にわたって平和を貫いてきた我々には後ろめたいものは何もないのですから。
国内冷戦の和解が求められている
最後に、戦後七〇年の諸政策は、今なお続く国内冷戦ともいうべき不毛な対立の和解を促すものでもあるべきです。歴史問題が大きな外交問題になるのは、その点を突くことで日本国内の対立を煽り、日本の政権にダメージを与えることができることが周知の事実だからです。国内の和解に向けて汗をかくことは、そのことだけで価値があるだけでなく、現実主義的な外交上の戦略としても重要なのです。
その和解は、かつての感覚で言えば保守優位の和解ということになるでしょう。安倍政権は、先の総選挙において国民から三分の二を超える議席を与えられました。このような地滑り的な勝利の後にこそ、自民党には核となる保守的な支持層にとどまらない、多くの国民の認識を包摂する道義的な義務があるのではないでしょうか。それこそが、自民党が「普通の」保守政党化する誘惑に抗い、国民政党としてのDNAの原点に回帰することでもあります。
戦後七〇年というのは深いところで感情が渦巻く年です。国際的にも、国内的にも様々な象徴性をめぐる争いが生じることでしょう。そんなときこそ、薄っぺらな政治的勝利を目指すのではなく、誇らしさと寛容さをもって節目の年を過ごしたいものです。そして、七〇年間の平和の歩みを語り、国内外の対立を癒す年にすべきなのです。