その男は、尊敬と親しみからニックネームで呼ばれることがある。「カベサ・グランデ」。スペイン語で「頭の大きい人」という意味である。
これだけで、ドミニカ共和国から海を渡ってきた選手との絆の強さは想像に難くはないだろう。カープ二軍で来日当初からサビエル・バティスタやアレハンドロ・メヒアを熱血指導してきた朝山東洋打撃コーチである。
1995年にドラフト3位でカープに入団、天性の打撃センスで将来の主砲候補と期待されてきた。しかし、膝の故障に苦しみ、2004年に現役を引退していた。以来、研究に裏打ちされた野球理論と飾らない人柄でカープ3連覇の強力打線に次々と逸材を輩出してきた。
選手の信頼が厚い理由は、各選手にあったそれぞれのアプローチを持つことである。打撃フォーム、打球方向、ボールの待ち方、目的はひとつでも、選手が吸収しやすいアプローチを提供できるのである。
他のルーキーと同じように……バティスタへの熱血指導
2015年、カープアカデミーからバティスタが来日した。朝山はその第一印象を語ることをためらわない。「バットが下から出るので、ベルトのゾーンは打てないだろうと思いました。高めの甘い球も打てないだろう、低めのボール球を振るだろう、そんな印象でした」。
そこから、熱血指導が始まった。まずは高めの球を打てるようにしよう。練習もティー打撃から徹底的に高めに設定し、スイングの矯正も施した。チーム方針も、彼らを外国人選手としてではなく、他のルーキーと同じように鍛えていこうというものだった。
通常メニューに加え、早出や居残りの練習もある。いつしか、朝山は彼らと通訳を介さずコミュニケーションをとるようになった。「メディオ=センター中心に(打っていこう)」「バモス=がんばれ」「アルト=高め(を狙っていこう)」。
挨拶のみならず、野球用語も頭に入れ、選手にダイレクトにアプローチしていった。「コミュニケーションがとりたかったです。ちょっとした挨拶でも、そういうものが大事です。こちらがカタコトでスペイン語を話すと、向こうもカタコトの日本語で返してくれます。しかも、カタコトですから相手が集中して耳を傾けてくれますし、身振り手振りにも熱心に見入ってくれました」。
パワーはあるが、粗さが目立つ。そんなバティスタの長所は認めながら、朝山は「彼なりのコンパクト」という境地を説いた。ステップをやや小さくして、バットの軌道が遠回りしないようにした。
待ち受けていた厳しい内角攻め
2017年、バティスタは、史上3人目の一軍公式戦2打席連続本塁打という鮮烈なデビューを果たした。一軍に定着し、リーグ2連覇にも貢献したが、翌シーズンは相手投手の厳しい攻めが待っていた。内角攻めである。開幕一軍を逃したのも、死球によって左手甲を痛めたことが原因だった。
内角を意識する。踏み込んでいけない。打撃フォームが開いてしまう。「踏み込んでいこう」「少しクローズに構えてみよう」。朝山も様々なアドバイスをしたが、簡単に状態は戻らなかった。
朝山はアプローチを変えてみた。「センターから逆方向に打っていこう。そうすれば、開かずに左肩が残る。内角の速球に課題は残るが、バティスタのパワーなら大丈夫。詰まってもスタンドインできる。そう伝えました」。
入団当初からバティスタを見てきた。内角に詰まりながらバックスクリーンに放り込む姿も目にしてきた。だからこそできるアドバイスである。
「インコースの速球には詰まっても大丈夫」。この言葉はバティスタの気持ちを大きく変えた。「朝山コーチのアドバイスは今も続けています。朝山さんは、自分がインコースに強いことを知ってくれています。だから、真ん中から外の球をセンターから逆方向とアドバイスしてくれたのだと思います。この意識でバッティングが上向きました」。
素直な性格で練習熱心、そんなバティスタは指導者の教えを実直に実践した。その積み重ねが、一軍での活躍に結びついている。