「大学の先生は夏休みがあって、いいですね。今年はどこか良いところに行くんですか?」

 大学の前期もあと数週間、夏休みまでもう少しの時期に差し掛かっている。当然、この間のスケジュールは埋まりつつある。「夏休み」といっても授業がないだけで、その他の業務は目白押しだ。おかげさまで日韓関係もますます悪化し、今年も忙しい夏になる事は間違いない。やれやれその前に今週も授業をしたり会議に出ながら、3回ほど神戸から東京に出張する事にしましょうか。

数ヶ月前には予想もしなかった成長を見ることの喜び

 さて、夏休みの到来は前期の終わりであり、その事は大学生にとっては早くも一年の半分に相当する授業が終ろうとしている事を意味している。時が経つのは早い。4月に大学にした学部生にとっては、大学生活の8分の1、同じく大学院に入った大学院生に至っては、博士前期課程、いわゆる「修士課程」の4分の1が既に過ぎた事になる(博士後期課程の人は自分で考えてください)。

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 しかしながら、大学生はとにかく若い。だから彼らはこの短い時の経過の中、時に我々の予測をも大きく上回って成長する。「こいつはひょっとしたらダメかもしれない」。失礼ながら、入学当初の姿を見て頭をかすめた学生が、学期終わりに全く異なる姿を見せてくれた時の驚きと、それに伴う喜びは何ものにも代え難い。お前、もう全然違う人になってるじゃん、でもどうやったらそんなに急に変われるんだ、何か方法があるなら教えてくれよ。彼らの若さが、羨ましくなる瞬間である。

 僅か数ヶ月前には予想もしなかった姿を、時に見せつけ、驚きをもたらしてくれるのはプロ野球選手も同じである。そして、そんな選手は今シーズン前半のオリックスの中にもたくさんいる。以前のコラムで取り上げた榊原や投手からの転向に成功して着実な成績を上げる佐野はその例だ。しかし、そのような多くの選手の中でも、とりわけ多くの人々の期待を良い意味で裏切って、圧倒的な活躍を見せている選手を一人上げるなら、それはやはり彼しかない。オリックスの誇るスーパースターである吉田正尚の前後を固める、「交流戦首位打者」中川圭太だ。

 よく知られているように、昨年のドラフトで中川は特異な注目を集めていた。言うまでもなく、それは彼がかつての高校野球の強豪、PL学園が光を失い混迷を深めた時期の主将を務めた経験を有していたからである。「最後のPL戦士」。大学野球の名門東洋大学で主将を務め、大学日本代表にも選ばれたにもかかわらず、彼には、どこまでも言っても「PL」の名が付きまとい、その行方は「PL」の名とともに、注目された。

 しかしながら、その中川のドラフト時の評価は決して高いものではなかった。そのことは、彼の指名がオリックスの7巡目であった事が示している。どうしてこれだけ実績がある選手の評価がこの程度なのだろうか。そう思いながら、宮崎のキャンプで彼を見た筆者は、不見識にもその理由がわかった気がした。

史上初となるルーキーでの交流戦首位打者に輝いた中川圭太

目立たなかった「最後のPL戦士」

 バッティング練習では、隣でドラフト1位の太田や2位の頓宮が豪快なアーチを易々と掛けるのに対し、中川にはそれに匹敵する長打力はない。走塁では、投手から転向した佐野が抜群の俊足を披露する中、中川の足は決して速いとは言えない。守備練習ではとりあえず無難な守備を見せるものの、大城や福田がルーキー時に見せつけた様な、未完成さの裏側にある高い潜在能力を見る事は出来ない。紅白戦では凡打を繰り返し、スイングが特にシャープでコンパクトにも見えなかった。

 一言で言えば、中川には飛び抜けた長所がなかった。身体も決して大きくなく、野球選手としては、むしろ線の細さが目立つ。申し訳ないけど、ルックスもかなり地味だし、「最後のPL戦士」と言うキャッチフレーズから筆者が想像したような、ハングリーさをむき出しにした、プレースタイルでもないから、特段のスター性があるようにも映らなかった。練習の最中にも他の選手に埋もれてしまい目立たない。

 なるほどこれは即戦力である事が期待される大学卒のルーキーとしては難しいかもしれない。頭は良さそうだから、むしろ、将来の指導者候補としての、割り切った指名なのかもしれないな。そんなかなり失礼な思いすら、筆者の頭には浮かぶほどだった。

 そして実際、その後しばらくの中川は、決して目立つ存在とは言えなかった。決して選手層が厚いとは言えないオリックスにおいて、彼がオープン戦での起用されたのは僅か1試合。シーズン開始当初の彼に対する首脳陣の評価はお世辞にも高いものには見えなかった。

 だから、シーズンに入った中川が一軍に上がって来た時も、筆者は正直、彼にあまり期待していなかった。きっと疲れが見えて来た頓宮が調子を取り戻すまでの、「つなぎ」的存在に過ぎないだろう。中川がその後の数試合ですぐに結果を出した時点でも、筆者はまだそう思っていた。何故なら筆者には「彼の何が良いのか」が全くわからなかったからである。