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オリックス・福良前監督のGM就任は、一番期待値の高い補強策だ

文春野球コラム ペナントレース2019

2019/05/30

 かれこれもう13年ほど前の話になるだろうか。我々MEGASTOPPERのメンバーはスカイマークスタジアム(現・ほっともっとフィールド神戸)の一室、急誂えで用意された控え室で試合後のセレモニーの出演待ちをしていた。そろそろ準備でも始めようかというタイミング、そんな中メンバーでギタリストの244(ツヨシ)が驚いた表情でドアを開け急ぎ早に控え室に戻って来た。

「ヒロユキ(=DOMI、自分の事をMEGASTOPPERのメンバー達はそう呼ぶ)! エライこっちゃ! ちょっと来いよ」と早口気味にまくし立てる。何のこっちゃと、とりあえず2人で控え室を出て少し歩くと、そこには報道陣の人だかりとざわつく会話があった。会話の糸を手繰りながら状況を飲み込んでみるとどうやら中村勝広監督が試合後の選手サロンで辞任を発表するとの事。慌ただしく揺れるプレス用の腕章が印象的な、そうあれは2006年の9月、シアトルではイチロー選手が9年連続の200本安打を達成した年の事だった。

鮮やかだった中村「GM」の手腕

 スカイマークスタジアム1階1塁側の「中村勝カレー」が記憶に根強い中村勝広氏。実はORIX球団「平成唯一のGM(ゼネラル・マネージャー)」である。確かにファンの間では監督としての評価はイマイチ高くなかった中村氏だが、今にして思えばGMとしての手腕は非常に鮮やかなものだった。

 2005年オフのドラフト会議までは編成を指揮し京産大から平野佳寿(ダイヤモンドバックス)、NTT西日本から岸田護、当時の高校生ドラフトでは履正社から岡田貴弘(T−岡田)を獲得。更にその前年の2004年ドラフト会議ではトヨタ自動車から金子千尋(金子弌大)、JR東海から光原逸裕を獲得するなど今振り返れば完璧とも言えるチーム編成を実施、加えてダイエーから村松有人、広島から菊地原毅を獲得するなど確実に強豪チームへと歩を進める明確なシナリオを描いていた。

 NPBでは最近になってようやく馴染みが出てきたこの「GM」。実はNPB一番最初のGM制導入は1994年のロッテで、NPB史上最初のGMは広岡達朗氏である。映画「マネーボール」でブラット・ピットが演じ一躍脚光を浴びたそのGMだが、「マネーボール」のモデル、ビリー・ビーン氏がアスレチックスのGMに就任したのが1997年、アスレチックスが常勝軍団になったのが2000年以降であるから当時のロッテの取り組みは実に画期的だったと言えるだろう。