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2019/07/09

「常勝チーム」としての自覚が生み出した「美意識、自意識」

 私が在籍していた1992年から1996年までの西武ライオンズは、圧倒的な強さでパ・リーグ他球団の追従を全く許さない存在だった。それでもライオンズ球場での観客動員数は、他の球団よりは良かったものの、セ・リーグの下位チームにも及ばないことも多々あった。

「ライオンズは強いけど、辻が塁に出れば、平野(謙)がバントで送り、それで秋山か清原で還すっていう、いつものパターンでしょ? 面白くないよ」などと暴言を吐くTV解説者もいたほどだった。しかし、そのパターンを確立したチームを作るのに、どれほど球団全員で日々努力したことか。

 森祇晶監督と東尾修監督の時代、選手、裏方、球団職員の間には隔たりが無く、全員が一丸となり、リーグ優勝を目指していた。その中で、何よりも、あの頃のライオンズにはチームとして「様式美」のような美しさが存在した。私は、その美しさの中で仕事ができる幸せを噛み締めていた。それは「常勝チーム」としての自覚が生み出した、個々の選手の「美意識、自意識」でもあったと言っていいだろう。

 その一つとして、例えばユニフォームの着こなしである。当時はまだストッキングを着用するのが常であり、そのアブミの部分を延ばして、アンダーストッキングの白い箇所を誇張するのが流行りであった。そして、そのストッキングの延ばし方は、個々の体形なり、思いでそれぞれが異なっていた。その形状とアンダーストッキングのホワイトに、清潔な美を私は見出していた。

 また、選手たちの守備にも、歌舞のような煌びやかさを感じていた。ダブル・プレー時の田辺、奈良原浩、辻さん、石毛宏典さんたちの流れるような美しさにぞっこん惚れ込んでいた。野球の美しさは「流れるような動作」であると私は信じている。

 今思えば、こうした、男性だけの世界の中で感じ取る“美”に魅せられていたのも、自分の中にあった女性ならではの視点だったのかもしれない。

日米で同じ球団を古巣に持つ松井稼頭央との思い出

 1993年秋からハワイ・ウィンター・ベースボールという日米双方の有望な若手マイナー・リーガーを集めるウィンター・リーグが発足することとなる。当時のライオンズも参加することになっていた。そこから、垣内哲也や高木浩之、松井稼頭央らが育ち、その後のライオンズの中核を担っていった。

 それまで通常のシーズン中は、通訳として外国人選手 (ほぼ歳上)に集中するのみであったが、引率者、マネージャーも兼務として派遣されたハワイ・ウィンター・ベースボールでは、初めて歳下の選手たちを扱うことになった。それも、私が長年育ち、慣れ親しんだ米国においてである。彼らにとっては異国の地。試合の後、マウイの球場から宿泊していたアパートまでの40分弱の距離、私が運転する車の中で眠る彼らを見て、初めて「守ってあげなければならない」と思ったことを思い出す。同じ歳下でも、おっさんのような垣内や、大人びた竹下潤は別として(笑)、まだ少年のようなあどけなさがあった、浩之や千原淳弘、稼頭央には、特に母親的な感情を有して接していたように思う。この時の体験がきっかけとなり、自己内に深く隠蔽していた女性面がどんどんと成長していったのであろうと、我がことながら、今こうして封印し続けてきた当時の自分自身と初めて正直に向き合ってみて、思い至る。

 その後、私が球界を去るのとほぼ同時期に、稼頭央が、私が在籍していたニューヨーク・メッツに移籍した。もはや第三者としてではあったが、彼のことも、さらにはメッツというチームのことも熟知していただけに、気になっていた。「大丈夫だろうか?」。そして実際、やはり壁に直面した。

 しかし、そこから自らの力でその壁を乗り越え、文字通りのメジャーな男としてひと回りもふた回りも大きく進化し、リーダーとして開花した姿に、言葉にならない喜びを感じた。そして、今年からは指導者として新たな道を歩み始めている。

 昨年、選手としての晩年を迎えていた稼頭央と再会して、走馬灯のようにをあの頃を思い出した。僭越ながら、立場は違えど、ライオンズとメッツ、日本とメジャーとも同じ球団を古巣に持つのは彼だけである。やはり、ひとしおの思い入れがある。指導者として、『育てる喜び』を感じていることと思う。ぜひ、日本プロ野球、MLBで経験してきた全てのノウハウを若い選手に伝えてほしいと、心から願っている。

 このコラム執筆を機に、本能が完全に眠りから覚めた。西武ライオンズは、私にとって野球人としての原点である。あの当時は、もちろん自分の持てる100%の力で尽くしてはいたが、“本当の自分”だけは閉じ込めていた。でも、こうしてトランスジェンダーであることをカミングアウトした上で、かつての仲間皆が受け入れてくれたからこそ、今度は一切の偽りなく、今の自分の全てを懸けたい。どういう形でできるかわからない。だが、もう一度、“野球界”のために貢献したいというのが、私の夢である。

もう一度、“野球界”のために貢献したい ©コウタ

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