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フォワードが引退を決意するとき

ーーそれで、また少し寿命が延びたんですね。

久保 そうすね、痛みがだんだんなくなって。でも、やっぱ、フォワードとして、点が取れなくなっていくんです。キュキュっと抜いて、バンというのが、やっぱりなかなか出せなくなるんです。ときどきは出るんですよ。うわ、これ、昔の感じや、というのが。練習とか試合でも出るんですけど、続かないんです。(相手を)抜けなくなる、抜いて勝負ができなくなってくる。それで、あ、もうダメやな、って。

 1試合やってても、ワンプレーしか、ときどきしか、昔の感じは出なくなるんです。本当、持続性がないという感じで。持続性がなかったら、試合には出られないし。1試合を通じて何回かいいプレーができれば次も使ったろうとなるけど、ワンプレーとかそういうのではね。

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「やっぱ、抜けなかったっすね。通用しなかったです」

ーー最後、ツエーゲン金沢を経て中国リーグの廿日市FCに入ります。

久保 よく飲んでいた先輩から一緒にやろうと声をかけてもらって、ストライカー塾みたいなのでいいけんって。で、子どもたちを教えたりしてたんですが、桑原裕義さんや大木勉さんたちと一緒にプレーできるとなって、なんか面白そうやな、とまた始めたんです。

 でも、県リーグから中国リーグに上がると、もう無理でしたね。やっぱ、抜けなかったっすね。通用しなかったです。

 決定的だったのは、試合中に相手選手と接触したとき、肋骨が折れたんですよ。あんなんで肋骨が折れたら、怖えな、と思いましたね。弱っているというか、もうダメやなと思いました。下の子どもが小さくて、いっつも父ちゃん父ちゃん泣いていたから、一緒にいたかったし。その前も単身赴任で金沢にいて離れていたし。その子どものことと、通用しない、というその2つで引退を決めました。