住み始めて1年ながら、久保竜彦さんは、すっかり山口県の港町・室積に馴染んでいる。ビーチサンダルで歩き回り、釣り糸をたらし、近くのイタリア料理屋で親しくなったシェフと言葉をかわす。室積の人々がこのサッカー元日本代表を温かく迎え入れていることがよくわかる。漁船の脇に立てば、もう、何十年もこの土地で暮らす漁師にしか見えない……。インタビュー最終回は、現役引退を決断したあのころと、これからの人生を語る。(全3回の3回目/#1#2も公開中)

山口・室積港にたたずむ久保さん 

将来は「なんも考えてなかった」

ーー現役時代の終盤、将来のイメージはどう描いていましたか。

久保 なんも考えてないですね。ケガを治すことしか考えてなかった。断食もそうだけど、気功にも連れていってもらったりして。結局、足の指がしょぼかったから、腰も膝も傷めたというところに行き着いたんですけどね。指から腰まで全部つながってますからね。十何年かけてつくってきた自分の足の指がしょぼくて、耐えられなかったというか。裸足では遊んでいたほうなんですけど、骨が小さかったんでしょうね。

ADVERTISEMENT

 父ちゃんに野球選手になりたいと言ったときも、ケツちっちゃい、アゴちっちゃい、お前は絶対に無理だって言われたから。まあ、それは当たってましたね。ケガが多かったし。でも、よくやったほうだと思うけど。

 だっけ、現役中にそんなに先のことは考えてなかった。行き当たりばったりやけ、ほぼ、いつも。サッカーではやりたくないことやらなかったし、行きたくないところ、嫌いなヤツのところは行かなかったし。

横浜FC時代の久保さん ©文藝春秋 

「もうサッカーはやめようと思っていたんです」

ーー引退はいつ決意されたのでしょう。

久保 横浜FCをクビになって(2007年末)、もうサッカーはやめようと思っていたんです。でも、ひとりの先生にばったり会って、そこから2、3ヶ月その先生のところに籠もって、トレーニングしたら、ちょっとずつ痛みが改善してきた。結局は、足の指なんですけど、ねじれというかゆがみがあって、ちゃんと指が機能していなかった。指がちゃんと曲がらず、指の開け閉めができなかったんです。それを先生が最初に無理矢理曲げて、もうむちゃくちゃぎゅっとやられて一時的に腫れてしまって……。

 最初の頃は怖かったんですけど、それよりも、ちょっとでも、よくなればと思っていたし、実際、やると変わってくるんですね。もう、やめようかと思っていたときやったけえ、信じて、もう現役が終わってもええし、みたいな感じでやったのがよかったんすよ。少しずつ正常な状態に戻っていったんです。