自分が本当にやりたいことを探して、瀬戸内海にある山口県の小さな島「牛島(うしま)」で塩づくりや野菜づくり、さらには魚釣りに明け暮れるサッカー元日本代表FW・久保竜彦さん。いまサッカーに対してはどう考えているのだろうか。インタビュー2本目は、今まであまり語ってこなかった日本代表時代の胸のうちを明かす。(全3回の2回目/#1と#3も公開中)
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ーーいま、サッカーに対してどんなスタンスをとっているのでしょう?
久保 友だちから言われて、サッカースクールみたいなのに参加することはあるけど、ああじゃこうじゃと言わなきゃいけないやつは面倒臭いのでやってない。好きなようにできて、好きな人とならやるって感じですね、サッカーは。ちゃんとしたコーチングとかは別に考えてないです。無免許だし(笑)。
ただ、子どもたちと一緒にやるのは好きやし、小学校のときが楽しかったというイメージが自分の中にも残っているけえ、やっているんかなって思う。
「マラドーナみたいになりたいなと思って」
ーーそもそも久保さんがサッカーを始めたきっかけは?
久保 もともと自分は野球をやっていたんです。だけど、小3のときに指をケガしちゃって、1年ぐらいグローブをはめれんかったんです。遊んでいるときに、小指の先を切っちゃって、先がブラーンととれかかった。で、母ちゃんと病院に行ったら、先生から「足の指をつけたほうがいい」って言われたけど、母ちゃんがそれは絶対ダメや、手の指をつけてって言ってなんとか残したんです。だから、いまも少し指が短い。すごく痛かったけど、泣きはしなかったですよ。ただ、匂いだけは覚えてますね。肉の匂いというか、いまも思い出します、あ、これあんときの指の肉の匂いや、って。
ーー足の指を切って移植しなかったから、サッカーができた。
久保 そうすね。その頃、ちょうど「キャプテン翼」が始まって、あと、マラドーナを見て、マラドーナみたいになりたいなと思って、のめり込んでいったんです。
小4のときにメキシコW杯があったんだけど、友だちの家が電気屋で、録画したビデオを見に行ってたんです。うちにはビデオデッキがなかったから。それをずっとやってるけえ、父ちゃんがビデオデッキを買ってくれて、ダビングしたビデオを見てましたね。マラドーナ特集のビデオとかは繰り返し見てました。