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トルシエ大嫌い、合宿ではひとりメシ……元日本代表・久保竜彦が明かす「波乱万丈のサッカー人生」

“ドラゴン”久保竜彦インタビュー#2

2019/07/21
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W杯メンバー落選を聞いて考えたこと

 久保さんは、ジーコ監督のもと、18試合に出場し、11得点をあげた。FWトップの成績だった。しかし、2006年W杯ドイツ大会の直前、久保さんは、代表を外される。代わって選ばれたのは、巻誠一郎だった。

ーーW杯に行けなかったことはつらかった?

久保 最後の代表合宿を終えてすぐ山形に入って、代表発表の日まで、断食してたんです。で、東京に帰る新幹線に乗っているときに、マリノスの広報の人から電話があって、メンバーから外れたことを知ったんです。ああ、そうなんだとがっかりしたのと、少しホッとしたのと両方でした。出たかったけど、やっぱり身体がゆっくりできるわ、というのもあった。ただ、W杯中に、マリノスの紅白試合とかに出てみると、調子がよくて、もう少し前からきちんとやっときゃよかった、みたいな気持ちはありましたね。結局ずっと、身体に波があって、だましだましやっているような感じでしたから。

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ーー久保さん自身の最大の転換点、人間としての成長点のようなものはいつだったのでしょう。

久保 やっぱ、断食したときですかね。断食して考え方が変わりましたね。それまで、自分の感覚でしか受け入れていなかったものが、メシを抜いて、ちょっと苦しくなっていろいろなものの見方が変わった。結局、断食したのも、自分がにっちもさっちも動けんくなってからだったし。ああ、もう本当に自分はダメかな、と思うときに人間は考えるんすかね。

 サンフレッチェ広島、横浜マリノス、横浜FCなどで活躍した久保さんは、ツエーゲン金沢と廿日市FCを経て、引退を決意する。39歳のときだった。

#3に続く)
写真=榎本麻美

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