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トルシエ大嫌い、合宿ではひとりメシ……元日本代表・久保竜彦が明かす「波乱万丈のサッカー人生」

“ドラゴン”久保竜彦インタビュー#2

2019/07/21
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当時、取材嫌いだった理由

ーー結局、代表には馴染めなかった?

久保 1年ぐらいして、淳さん(三浦淳寛)が代表に入ってきて、同じ九州ということで、初めて声をかけてくれて、うわあ、高校サッカー選手権で見てた人だ、すげえと思いながら、そこらへんからチームの中に入れるようになっていった。そのあと奥大介さんも入ってきたりして。

ーー久保さんは、記者泣かせでもあって、会見やインタビューで言葉がとにかく少ない。あれこれ質問しても、「そうっすね」の一言で片付けられたり。当時はどういう気持ちだったんですか。

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久保 やっぱり、どこかで、そんなの試合を見とったらわかるやん、みたいな思いもあったし。あと、自分は、試合の前にメシ食わず、腹を減らしてやるほうだったんです。だから、試合のあと、一刻も早く帰りたい、メシを食いたい、ビール飲みたい(笑)、というのがありましたよね。そんなことがないまぜになって、「どうでしたか?」って言われても、「わかっとるやろ」、みたいな対応になっていた。

 言葉も持ってないですからね、勉強もしてなかったし。あと、九州の言葉がわからない、何言っとるのみたいなことを最初に言われて、面倒臭くなってた。先輩からも、何言っとんと言われたりしてたし、方言があったから。

ジーコの上手さに「こうなるのは一生無理なんやろなー」

 久保さんは、ジーコ・ジャパンでも招集され、2004年の欧州遠征では、3試合で4得点をあげた。チェコを相手に勝負を決めた左足のゴールはいまも語り継がれている。その強さと豪快さは、世界レベルだった。

今も語り継がれる久保のスーパーゴールで勝利した2004年4月28日の国際親善試合チェコ戦 ©文藝春秋

ーージーコ監督はどうでしたか。

久保 まず、本当にボールタッチが上手かったです。いままで、自分が間近で見た中では、たぶんジダンとかと同じぐらいに。シュート練習のときとか、ジーコが壁になってくれるわけですけど、強いシュートを打っても、すぽっと止める。ムダのない動きで、普通にさっと動く。キックもトラップも。あー、やっぱり、こうなるのは一生無理なんやろな、根本が違うんやな、と思いましたね。練習してどうなるようなものではないというぐらい違いました。ボールをピタッと思うところに止めて、思うところに蹴る。それだけなんですけど、すぐにわかるんです。こいつ、ヘタだな、ズレてんな、というのは。日本人にはああいう人はいない。小野伸二が唯一近かったけど。

 だから、自分の場合、トラップがズレるし、へたくそだから、なるべくダイレクトで蹴ることを意識した。それでなんとか生き残った感じですね。無理がきく身体やったけえ、そこそこ点がとれたんやと思うけど。本当は、ひとり、ふたりディフェンスをかわして、と思い通りやりたくて、練習してたんですけど、やっぱり無理でしたね。