ステージ3の乳がんを公表した梅宮アンナ。7月に主治医から病名を聞かされた時は「やっと私の番が来たか」と思ったという。計6度のがん手術をした父・辰夫ら家族への想い、闘病への決意を90分、赤裸々に明かした。(全2回の2回目/最初から読む)
初出:「週刊文春」2024年8月29日号
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19歳でモデルとしてデビューし、パパと一緒にたくさんテレビにも出させていただきましたが、振り返れば芸能界も自分が望んだわけではなく、スカウトされ成り行きで入っただけ。“親の七光り”と言われることもあり、自信がもてず、「この仕事を選んだのは間違いだったかも」という思いを抱えてきました。
だから乳がんを宣告された時は、「ようやくこのプレッシャーから解放される」と思って、その日は何年かぶりにぐっすり眠れたんです。不思議な感覚でした。
パパのつらい闘病生活を見ていたからこそ、「死ぬのが怖い」とは思いませんでした。むしろ「パパのとこに行けるなら、もう別にいいかな」って。長生きしたいわけでもないし、髪が抜けるようなつらい抗がん剤治療をしなければならないなら、このまま運命を受け入れてもいいかもしれない、そう思いました。
自分のやるべきことがわかった
── そんなアンナの後ろ向きな思いを変えたのが、ある女性の言葉だった。
幼い頃から姉のように慕っている女性にだけ、自分の気持ちを正直に打ち明けました。すると彼女は、「あなた、百々果ちゃんのお母さんだよね。母親が治療を諦めて死んでいった時の、彼女の気持ちを考えたことある?」と猛然と怒りだしたんです。彼女は現在63歳で、幼い頃から何度も手術を乗り越えてきた小児がんのサバイバー。
今もがんとともに生きる彼女の言葉はとても重く、その一言で、「私、諦めていられない。がんを治さなきゃ」と、前を向くことができた。そうして病気と向き合うことに決めたら、「我慢してまで生きても仕方ない」というパパの考え方とはまったく違う、私の世界が開けました。