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元バニラビーンズ・レナ「便所飯をしていた女子高生が異色のアイドルになるまで」

レナさんインタビュー#1――アイドル戦国時代を振り返る

2019/07/07
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私たちが「北欧出身」設定をあまり理解してなかった(笑)

――レナさんへのインタビューも他のアイドルに関する話ばかりでした。

レナ そもそも自分の話をするのが苦手なんです。「レナさんってどんな人ですか?」「バニラビーンズってどんなグループですか?」と聞かれても答えづらいというか。

――性格的な問題ですか?

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レナ それもありますし、バニラビーンズは作られたグループで、実は自分たちの意見が反映されていないんです。例えば「今回はどんな楽曲ですか?」と聞かれても、作詞作曲しているアーティストじゃないから「とりあえず聴いてください」と言うしかない(笑)。そもそも「北欧出身」みたいな設定を本人たちがあまり理解してなかったので。

――バニビの2人が制作に意見を出すことはなかったんですか?

レナ 意見を出したことはほぼなかったです。最後の最後にきっと事務所から私たちへの餞別として、セルフプロデュースで楽曲制作させてくれて、自分の好きなバンドさんに曲をお願いして、歌詞はデビューから10年間以上お世話になった作詞家の田形美喜子さんに20代の全てを注ぎ込んだアイドル人生、荒波にもまれた想いを込めて書いてもらいました。

 

“ガチ恋”のファンがいなかった理由

――17、18歳のアイドルとは違うわけで、「こうしたほうがいいんじゃないか」ともどかしく感じることはなかったですか?

レナ 逆に17、18歳の子のほうが強い意志があったかもしれません。20代後半になると「仕事だから」と割り切れていました。バニビの場合は所属が芸能事務所じゃなく広告代理店で、社長は宣伝マンだから、中身よりも「どうやって面白く展開できるか」を考えていたんです。だから、前半は社長の思い付きでいろんなイベントをやっていました。ただの宣伝トラックじゃなくて、私たちがその中で生活するとか。ファンの方の家に紅茶を入れにいったこともありました。そういう宣伝をしたいためにCDを出す、みたいな感じだったんです。

――本人は「これ面白いぞ!」と思ってたんですか、それとも「何をやっているんだろう」だったのか。

レナ 正直、最初は「何をやってるんだろう」のほうが強かったです。でも、やっていくうちに2人とも「その場を楽しんだほうがいい」という考え方に変わりました。

――ファンがシャレのわかる大人だったのもよかったんでしょうね。防護服を着てのハグ会もありましたし。

レナ 「女性」という売り出し方をしていなかったんですよ。社長が考えていたバニラビーンズが「北欧から来た意志を持たないフランス人形」だったので。活動の後半まではジャケット写真やMVは無表情で通していましたし。だから、恋愛対象として見ているファンがいなかったんです。今でいう“ガチ恋”がいなかった。ごく少数いたとしても、想いが届かないから天に召されたと思います(笑)。