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元バニラビーンズ・レナ「便所飯をしていた女子高生が異色のアイドルになるまで」

レナさんインタビュー#1――アイドル戦国時代を振り返る

2019/07/07

――モーニング娘。の最終審査までいけば「私、いけるんじゃないの?」と思っても不思議じゃないですよ。

レナ 姉がその頃『恋のから騒ぎ 女子高生スペシャル』(日本テレビ)のオーディションに私を推薦したんですよ。私としてはモーニング娘。を受けるのに悪いイメージを与えそうな番組に出たくなかったけど、オーディションがとんとん拍子で進んで出演することになって。しかも「エピソードをしゃべらなくていいから座っててください」と言われたんですよ。そうなると「東京で勝負できるんじゃないか」と思ってしまいますよね。

人見知りで便所飯をしていた学生時代

――学生時代はモテていたんですか?

レナ そんなことはなくて。めっちゃ人見知りで、コミュニケーションを取ることが苦手だったんです。人前でご飯を食べられなくて、今でいう“便所飯”をしたこともあって。まわりに「ここの養成所に入った」みたいな子はいたけど、私は「オーディションがここまで進んだ」とか一切言わなかったんです。夢って軽々しく口にするもんじゃないと思っていたから。

 心の中で「私だけはここから抜け出してやる」と唱えてました。今となってはそんなライバル心で損をしていたかもしれません。学生時代は楽しんだほうが良かったなって。友達とプリクラを撮ったり、カラオケに行くこともなかったので。

 

――友達と遊ばずに何をしていたんですか?

レナ 上京資金を貯めるためにめっちゃアルバイトをしていました。両親は「やりたいことがあれば自分でやりなさい」と言う人たちだったので。

 両親としては地元の短大に進んでほしくて、推薦も決まっていたけど、短大を卒業してから上京しても自分の賞味期限は切れているんじゃないかと思ったんです。今しかできないことをしたくて何もないのに上京して、専門学校に通っているお姉ちゃんの家に転がりこみました。

――東京にきて事務所を探したんですか?

レナ それが、お姉ちゃんと渋谷に行ったら、そこで5社くらいにスカウトされて、そのひとつがバニラビーンズの会社だったんです。

――普通の芸能事務所ではなかったんですよね。

レナ カゼプロという広告代理店、ミラクルバスという音楽制作事務所、最初の相方(リカ)が所属していた芸能事務所が共同で立ち上げたフラワーレーベルの所属になったんです。最初に聞いた時は謎すぎたけど、徳間ジャパンでデビューすることが決まっていたから、「じゃあ、ここにしよう」と。1stシングル発売後、リカが脱退して事務所も抜けて。「どうしよう」となった時、カゼプロの社長の知り合いのモデルの子が引っ張ってきたのがリサなんです。