陸地化した川を300億円以上かけてもとに戻す
そこで国交省が目を付けたのが、2本の高梁川を1本にした時、陸地化して貯水池を造った高梁西川の区間だ。
ここを再び河川にして、小田川を流し込む。
かつてと異なるのは、現在の高梁川との合流点を堤防で仕切ることだ。そうすると新たな合流点は、復活した川の最下流になる。高梁川側では約4.6キロメートルも河口側になる。
高梁川の勾配は900分の1だから、今より標高が約5メートル低い地点で小田川が合流する格好になる。その結果、小田川の水面は、高梁川の増水時でも約5メートル下がる計算だ。
「これで福山藩や内務省が引き起こした人災からやっと解放される」と期待する人もいる。
ただし、陸地化した川を、また川に戻すだけに近い工事なので、「一体、国は何をやっているのか」と批判する人もいる。事業費も巨額で、2014年度に関連事業が始まった時は約380億円とされた。現在は昨年の災害復旧費用も含めて約500億円という。
次の災害には間に合うか?
それにしても不思議だ。因果は巡ると言った方がいいだろうか。
内務省が2本の高梁川を1本にした時、真備町は「犠牲」にされた。ただ、当時の人々が住んでいたのは洪水に洗われる平野部ではなく、山沿いだった。水害があっても住家への影響はそれほどなかった。
片や、陸地化された高梁東川は、倉敷の市街地となり、河口跡地に紡績工場が建つなどして水島工業地帯を形成していった。これが倉敷の人口増加の起爆剤になった。
そうした人々のための新たな住宅地として開発されたのが真備町の平野部だった。真備町は人口2万人を超える町になったが、人々が住み着いた平野部は昨年、洪水に丸呑みにされた。
廃川復活による小田川合流点の付け替えは、旧真備町議会が何十年も国に陳情してきた悲願の事業だった。
ようやく事業化が決まって、昨年秋に着工される予定だった。だが、西日本豪雨には間に合わなかった。
災害で延期された起工式が、今年6月にようやく行われた。5年間で完成を目指すという。
次の災害には間に合うだろうか。
写真=葉上太郎