昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

監督室でぽろぽろと涙を流したあの日……内田篤人が振り返る「W杯メンバー落ち」の真実

ブラジルでの悔しさを晴らすのは、ロシアだと思っていた

2019/07/27

W杯へのチャレンジ敗れ、泣いた日

 内田は関係各所に電話を入れ、詫びを入れた。アントラーズ監督の大岩剛にも直接頭を下げた。

「すいません剛さん、メンバーに入ってなかったです」 

 大岩もあやまった。4月から5月にかけてJリーグでは5試合連続で先発出場している。起用することで、コンディションの問題がないというアピールに繫がれば、選出のための好材料になるのではという判断もあった。

「『内田の怪我はいける状態だと示して後押ししたくて、いっぱい試合に出しちゃったけど逆に怪我が重なって、俺の責任だな』って言ってくれて」

 大岩の思いを知り、内田は監督室でぼろぼろと涙をこぼした。

2014年W杯ブラジル大会コートジボワール戦で出場した内田 ©JMPA

 鈴木満・強化部長も残念に思っていた。

「満さんはね、柳さん(柳沢敦)の時もそうだったけど、『うちは選手を代表に推したいから、ぎりぎりまで付き合ってやりたかったけど推し切れずごめんな』って」  内田と大岩や鈴木とのやりとりは、クラブハウス内で行われていた。当然メディカルスタッフたちの耳にも届く。 「メディカルルームに入っていったら、みんなものすごく申し訳なさそうな顔をしてるの。治してあげられなくてごめん、みたいな。『W杯出たかったのに、ごめんなー』って言うから、オレが『さあ、治療しようぜ!!』って言って終わり」

「やれることはやった。後悔はない」

 清武とも連絡を取った。

「W杯、お互いダメだったな、って確認し合って。でも、あの時こうしていれば良かったというのは一切ないよ」

 可能な限りの治療も受け、できるトレーニングは行い、取れるコミュニケーションは取った。内田は全てやり切った。

 清武も同じ感想だ。

「結局、知らされた時に、『やれることはやりましたねー、後悔ないっすねー』っていう話はしました。でもね、アツトくんのホントの心の内は分からないですよ。連絡はずっと取り合っているけど、会ってないんで。でも、俺は結構スカっとしていましたけどね。やれること全部やったので。怪我が続いたこととか、パフォーマンス自体には悔いは残りましたけど、怪我に対しての治療やリハビリでやれることは全てやったので、後悔はしてないですね」 

 2人とも14年の悔しさを晴らすのは、ロシアだと思っていたが、叶わなかった。

W杯ブラジル大会で惜しくも敗れたコートジボワール戦 試合後の2人 ©JMPA

内田篤人 悲痛と希望の3144日

了戒 美子

講談社

2019年3月27日 発売

この記事の写真(7枚)

+全表示

ツイッターをフォローして最新記事をいち早く読もう

文春オンラインをフォロー