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監督室でぽろぽろと涙を流したあの日……内田篤人が振り返る「W杯メンバー落ち」の真実

ブラジルでの悔しさを晴らすのは、ロシアだと思っていた

2019/07/27

 2018年、長らく拠点としていたドイツから帰国し、古巣・鹿島アントラーズに復帰した内田篤人。2014年のW杯ブラジル大会では本田圭佑、長友佑都、香川真司らとともにチームを牽引したがグループステージで敗退。その悔しさを糧に、2018年のW杯ロシア大会を目指した。

 だが、ブラジル大会前に負った右膝のけがに、その後の4年間はずっと苦しめられた。ロシア大会直前まで懸命にリハビリを行い、周囲の協力もあおぎ、なりふり構わずメンバー入りを目指したが叶うことはなかった。

 当時の様子を、今年3月に上梓した「内田篤人 悲痛と希望の3144日」から、一部紹介する。

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W杯を目指せば目指すほど酷使する身体との闘い

 シーズン初戦の2月14日ホームのAFCチャンピオンズリーグ(ACL)グループステージ第1節・上海申花戦にフル出場、続くアウェイの水原三星ブルーウィングス戦には同行しなかったが、25日のJリーグ開幕節・清水エスパルス戦で再び先発し84分までプレーした。上海申花戦で太もも前の肉離れをしており、テーピングをしながらのJ開幕戦だった。

「痛いけど、もも前ってテーピングしちゃえば試合できちゃうんだよね」 

高校卒業後にプロとなってからドイツに渡るまで在籍していた鹿島アントラーズ時代 ©文藝春秋

 試合でプレーはできるが、負傷を治すことを考えれば休むにこしたことはない。だが、なるべく多くの試合に出てワールドカップ(W杯)のためにアピールしなくては、ということが常に脳裏にあった。だが、このシーズンも復帰と負傷を繰り返した。膝蓋腱も大腿二頭筋腱も問題はない。ただ、試合が少し続き負荷がかかるとどこかで肉離れが起きることの繰り返しだった。

「お前が諦めてどうするんだ」後輩を励ましながら粘り続けた

 それでもリハビリ仲間であり、”舎弟”と呼ぶ清武弘嗣と励まし合いながらW杯を目指した。

「キヨは何回もふくらはぎをやっていて、半分くらい心が折れていたから。『待て待て、がんばろうぜ』って言い合ってね。キヨって予選の時なんか(香川)シンジよりポジションとっていたこともあるじゃん。W杯まで3ヵ月になって、諦めてどうすんだよって。サッカー人生やっててW杯目指せるなんて、今後こんなチャンスあるか分からないぞ。だから、がんばろうぜ。やれることは全部やろうぜって言ってね」

 清武にも内田にも互いの存在は支えになった。

2014年のW杯ブラジル大会直前のコンフェデレーションズカップでは、強豪・ブラジルと対戦した ©文藝春秋

「最後の最後まで俺もアツトくんも、W杯目指していました。俺は何回も諦めましたけどね。17年は4回、18年も4~5回は負傷離脱しているんですよ。でも、アツトくんが『オレは2年間プレーしてない中でまだ目指すんだから、お前が諦めてどうすんだ。4週間とか5週間の怪我を、確かに何回もしているけど、何を諦めてるんだ』って言ってくれて。『オレとお前は、最後に滑り込みだ、絶対』。俺が2月にふくらはぎをやった時でさえ、『最後の最後、5月14日に、35人決定だからとりあえず粘れ』っていう感じでしたよ」