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「まず電撃メンバー入り」しかし予想だにしない”監督交代劇”

 目指すは大逆転での電撃メンバー入りだ。日本代表メンバーは3つの段階を踏んで23人に絞り込まれることになっていた。まずは5月14日に国際サッカー連盟(FIFA)に35人の予備登録リストを提出する。このメンバーは非公表だ。ついで、18日に、30日に国内で行われる壮行試合・ガーナ戦のメンバー27人が発表される。この時点でメンバーに入っていなければ、基本的にロシア行きはない。最後はガーナ戦翌日にロシアに行く正式なメンバー23人が発表される。とりあえず27人に入れば、23人が発表されるまでの間に多少怪我を治せるという算段だ。2人は同じ目標に向かって、手を携えていた。

トレーニングをする内田 ©文藝春秋

 ところが肝心の日本代表は過去に例をみない緊急事態に陥っていた。3月の欧州遠征で振るわなかったことを受けて、4月にヴァヒド・ハリルホジッチ日本代表監督の解任と西野朗・新監督就任が発表された。

 確かにハリルホジッチは、コミュニケーションの取りづらい監督であり、戦術の方向性も日本人に合っているのかという点でも批判の対象になった。つまりは、うまくいっているとは言い難かったわけだ。結果的に、この監督交代劇がまるでカンフル剤のように機能し、日本代表のスタッフや選手を含めた面々が一つにまとまった感もある。この監督交代は、受け入れられたということだ。  

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ヴァヒド・ハリルホジッチ監督解任は内田にとっては予期せぬ事態だった ©文藝春秋

 だが、内田にとっては難しい事態になった。たとえメンバーに入っていなくても、怪我をしていても、時にはデュッセルドルフを訪れるなどして内田を気にかけていたハリルホジッチが解任されたのだ。

「うーん、どうなるかなという感じになったよね」

 というのが監督交代を受けた内田の感触だった。多くの日本代表メンバーとは違い、ほとんど代表に招集されていない内田にとって監督交代は痛手だった。

大きく変わった状況で発表されたメンバーは……

 日本代表では、だいたい50人程度の怪我の状態やコンディションなどをウォッチしているそうだ。内田の場合はこれだけ怪我を繰り返していても50人枠には入っていたし議論の対象にもなった。だが、5月18日に西野監督が発表したメンバーには入らなかった。清武も入らなかった。

変わってW杯ロシア大会で日本代表監督を務めた西野朗監督 ©文藝春秋

「27人に入れば23人が発表されるまでの間に怪我は治せるかもしれない。だから、27人にさえ入れれば(5月31日までの間に)どうにかなる気がしてたんだけどね……」

 内田のW杯へのチャレンジは終わった。