昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

岡崎慎司と話したあのこと……内田篤人が振り返る「W杯メンバー落ち」の真実

敗れはしたが、清々しかった。

2019/07/27

 2018年、長らく拠点としていたドイツから帰国し、古巣・鹿島アントラーズに復帰した内田篤人。2014年のW杯ブラジル大会では本田圭佑、長友佑都、香川真司らとともにチームを牽引したがグループステージで敗退。その悔しさを糧に、2018年のW杯ロシア大会を目指したが叶うことはなかった。

 内田に特別な思いを抱いた岡崎慎司。ロシア大会直前、ともに負傷を抱えた状態でメンバー入りを狙う中、内田もまた岡崎には素直な一面を見せていた。

 今年3月に上梓した「内田篤人 悲痛と希望の3144日」では、内田が初めてドイツに渡った2010年から8年半の選手人生を赤裸々に明かしている。二人のやりとりを含めた、一部を紹介する。

W杯ブラジル大会から内田がロシア大会を目指した苦痛と希望の日々 ©JMPA

◆ ◆ ◆

W杯直前のメンバー落ち

 メンバー発表からさかのぼること2週間ほどの5月上旬、岡崎慎司は内田に電話を入れた。欧州組の数名で作ったグループでのメッセージのやりとりではなく、一対一で話をする必要があると岡崎は考え、直接話すことにしたのだった。

 4月、日本代表監督に就任した西野がレスターを訪れ、面談を行ったからだった。岡崎はハリルホジッチ時代終盤、徐々に代表メンバーから漏れるようになっており、3月までの時点では本大会メンバー入りは厳しいだろうというのが自他共に予測するところだった。だが、西野は違った。就任直後にレスターまで足を運び、怪我の状況を聞き、常に視野に入っていることを岡崎に伝えた。たとえ岡崎がどんなに鈍くても、W杯メンバー入りが確実に近づいたことが分かった。諦めかけていたロシア行きが現実のものになる可能性が出てきたわけだ。

 岡崎は、内田にそのことを伝えなくてはいけないと思った。内田とは、岡崎が1学年上ではあるが、08年の北京・オリンピックから共に戦う同世代だ。10年南アフリカW杯では共に直前にスタメンから外された。腐りかける中、当時は配信などはなくDVDで恋愛モノや青春モノなど、現実を忘れられるドラマを一緒に見た。そうして代表合宿中などを過ごす中で、岡崎にとって内田は特別な存在になっていた。怪我をしていることはもちろん知っているが、共にロシアへと思っていた。

南アフリカ大会では、ベンチにいながら目の前の戦いをただ見ることしかできなかった ©JMPA

「ウッチーの状況は厳しそうだけど、自分には西野さんから声がかかっていることを隠しておきたくないと思って」

「岡崎の足首もっと悪くなれ!」と思わず言った日

 岡崎は直接話すことに意味があると思った。

「『岡崎も怪我してんじゃん』とか、『W杯応援しない』とか、いろいろ言ってましたけどね。ウッチーのW杯を目指す思いも知っていました。ベルリンから出る時は、本当に悔しかったんじゃないかと思います。だからこそ、なんか隠しておけなかったんですよ」

W杯ブラジル大会では予選を通して共に戦った内田篤人(右から3人目)と、岡崎慎司(左端) ©文藝春秋

 内田も笑いながら思い出す。

「そうそう、『岡崎の足首もっと悪くなれ!』とかオレも言っちゃってね。でも、オカちゃんは西野さんが訪ねて来たからって絶対選ばれるわけじゃないから……とも言っていたかな。結局、治療しかできないんだけど、治療に専念するのか、それとも試合でのアピールも考えなきゃいけないのか、ちょっと迷ってるようだったよ」