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2019/07/10

genre : 歴史, 読書, 社会, 政治

1665年に落雷で焼失した天守閣を大阪市民が寄附金で再建

 私は知らなかったからです。私はいわゆる近代建築めぐりを趣味としていて、本も出していますが、最初にこの天守閣をおとずれたときには「きっと戦後に付け足したんだろう」くらいにしか考えなかった。まだまだ若かったんですね。文明の利器はみんな戦後の産物だというような、ありがちな誤解にとらわれていたんです。

 時系列を整理しましょう。秀吉、家康の時代のことにはふれません。明治維新の混乱で大坂城が荒廃したことは首相の言うとおりです(ただし天守閣がすでに寛文五年(1665)に落雷で焼失していることは有名ですから、おそらく首相は、ほかの建物もふくめたお城全体のことを言ったのでしょう)。

 以後はずっと石垣だけの状態に近かったものが、明治が終わり、大正を経て、昭和に入ると大阪市民の「ぜひとも天守閣を再建したい」という気運がもりあがります。

 寄付もたくさん集まりました。47万円あまりの工事費を全額まかなって、完成したのは昭和6年(1931)。

 このいわゆる復元天守閣こそが、こんにち私たちの前にある、そうして安倍首相はじめ世界の首脳がそれを背景に記念写真を撮ったところの天守閣にほかならないのでした。

 くりかえしますが昭和6年です。戦前です。このときにもうエレベーターはあったのです……と言いたいところですが、実際はエレベーターだけじゃありません。一階には水洗トイレがありました。屋内の床は全階モルタル塗りでした(最上階のみ木造ブロック張り)。

「建築と社会」昭和7年7月発行号(大阪城天守閣関連)より

 そもそも建物そのものが鉄筋コンクリート造なのだから「忠実な復元」からははるかに遠い。まるっきり現代建築です。首相の言いまわしを借りるなら二重三重の「ミス」なので、おそらく避雷針もあったでしょう。