「まさにダメ息子とは僕だと、書きながら気づきました」。こう語るのは『銀河鉄道の父』で第158回直木賞を受賞した門井慶喜さん。受賞が決まり、祝福の嵐から一夜明けた1月17日、受賞作の執筆秘話や門井さんにとっての「書く意義」を伺いました。(インタビュアー:瀧井朝世)
「誰もがそうである」ということが、一番文芸のテーマになりやすい
――このたびは『銀河鉄道の父』での第158回直木賞受賞おめでとうございます。一夜明けて、ご気分はいかがでしょうか。
門井 ありがとうございます。僕にとっては大きな出来事なんですけれど、今朝、宿泊したホテルを出れば鳥は鳴き、電車は走り、人々は会社に出勤しているわけですね。ああ、世の中って変わらないんだなと、妙に頼もしくもあったり、ちょっと残念でもあったりしました(笑)。
――昨夜の記者会見では最初に気持ちを聞かれた際の「風が来た、飛ぶだけだ。そういう気持ちです」というお答えが印象的でした。あれはその場で出てきた言葉だったのですか。
門井 直木賞のいいところはですね、会見の順番が芥川賞の次ということですね(笑)。横で聞いていて「今の気持ちは?」と聞かれると分かるわけです。我々は習性といえば習性で、お題を与えられるとついつい言葉をさぐりにいってしまいますから。まあ、「飛ぶ」というのは抽象的な表現で、つまりは地面に足をつけてペンを持って書くという意味ですね。ペンといってもパソコンですけれど。
――受賞作『銀河鉄道の父』を書くきっかけは、お子さんのために買った宮沢賢治の伝記漫画を読んで、賢治の父親・宮沢政次郎に興味を持たれたことだったそうですね。
門井 そうです。僕自身が男の子3人の父親なんですけれど、子どものために『宮沢賢治』(小学館版学習まんが人物館、850円)を買いまして。読んでみたら、ちょっとしか出てこないお父さんが、僕にはすごく印象的だったんですね。どちらかというと賢治を抑圧するキャラクターとして書かれているんですが、大人の僕が読むと、責任感のある人なんだな、と分かる。それと、賢治が入院した時に自ら看病したエピソードには、そういう父親が明治にいたのかと驚くと同時に、これは現代の読者が現代の心理で分かる話だな、と感じました。僕は普段歴史小説を書いていますが、届ける相手は現代の人です。当然、現代的なテーマがなければいけないので、これは非常に小説になりうる題材だと思いました。
――政次郎に関する資料はそれほど多くなかったのでは。
門井 政次郎については小説も研究書もないので、調べるのが大変だというのは最初から分かっていました。同時に、僕が書けば、それは僕が知っている限り、本邦初になる。そこに強烈なモチベーションがあったのもまた事実です。
政次郎に関するエピソードが一番残っていたのは、賢治の回想録、回想記事の類でした。賢治の家族から近所の人からその他まで、「賢治さんはこういう人だった」という証言を沢山残している。その中に、ついでみたいに「あの時お父さんもおられまして」という文章が1行2行あるわけです。それらを寄せ集めていって、情報として蓄積していくのが、初期の大きな作業でした。
もうひとつ、筑摩書房が『新校本 宮澤賢治全集』というのを出していて、そこに宮沢政次郎の年表もあるんですね。これはずいぶん役に立ちました。筑摩書房に感謝すべきであろうと思っています。
――受賞作を読むと、彼は表向きは厳しいけれども、本音は息子を可愛いと思っていたんだなとよく分かります。それと、賢治が社会性のないダメ息子だったんだな、とも。父親像や父子像は資料にあたるうちに明確になっていったのですか。
門井 はい。そういう一面があることを見出し、そこに現代的なテーマを感じた、ということですね。現代においては僕もそうですけれど、父親も母親も、過保護と厳格の間でウロウロしている。自分の立ち位置をビシッと決められないで、あっちにフラフラ、こっちにフラフラするのが、子育てをするということだと思うんですね。そして、そういう「誰もがそうである」ということが、一番文芸のテーマになりやすいんです。