外国人が認められづらい社会の中で
「日本社会で外国人が認められるのは、なかなかに難しいんです」
と言うのは、「寿司令和」の代表を務めるトエエモンさん。2003年に来日後、語学学校で日本語をマスターしてからは有名理系大学に進学、さらに大学院に進み日本の博士号を取得している。
それだけの秀才をもってしても、就職活動は困難を極めた。
「何十社と落ちました」と苦笑する。表向きはどんな会社だって外国人だからお断りとは言わない。でも、それとなく歓迎されていない空気は感じるものだ。日本語能力はそこらの日本人の若者以上で、農業や経済についての高度な専門知識を持ったこの人材を、結局のところ日本社会はあまり活用しようとはしなかった。引っかかったのはまったく専門外のIT企業。「外国人でも誰でも」という人手不足からの採用だった。
そして就職し、実績を上げても、外国人はなかなか「運営する側」には回れないのが実情だ。どうにかステップアップしたかった。
もともと、タイやベトナム、それにミャンマーも含め、東南アジアの人々は独立心旺盛。日本社会の中でも資金のめどがついたらどんどん起業する。日本人は一円からでも会社を設立できるが、外国人の場合は500万円以上の投資が必要なのだが、それでもばんばん勝負に打って出るのだ。トエエモンさんも、そんな姿を見てきた。
「だから僕も前から独立は考えていたんです。もちろん日本がいやになったとか、そういうわけじゃないですよ。奥さんも日本人だし(笑)。でもね、マウンさんの言うように、僕もやっぱり、苦労している仲間たちにがんばってる姿を見せたかったんです。とくに次世代の若い人たちに、なにかひとつ手渡したい」
ガンコな地元の人たちにも馴染んでいく
3人の板前を中心に、10人ほどのミャンマー人が集まり、出資しあって、会社をつくった。寿司屋のオープンを目指して動き出したわけだが、とにかく困ったのは店舗の場所探しだった。トエエモンさんがため息をつく。
「はじめは新宿で出店を考えていたんですが、外国人はまず契約してくれない。なんとか検討してくれるところが見つかっても、今度は後から来た日本人が優先されて、そちらに決まってしまう。そんなことの連続でした」
ようやく契約にこぎつけたのが、この浅草だった。