「その日がね、5月1日だったんです。“令和”がはじまった日。令和の日本は、外国人がいま以上にどんどん増えていくでしょう。それなら、僕たち外国人も令和の名前を使ってもいいんじゃないか。そう思って店名につけたんです。なにより、覚えやすいしね」
とマウンさんは笑う。
オープン間もなく、梅雨どきとあって苦戦しているが、少しずつお客が増えてきた。それも地元の、ライバルであるはずの飲食店の日本人が偵察がてらにやってくる。なにせ下町だ。ガンコなおじさんも当然いるわけで、外国人が寿司屋をはじめたと聞くとマユをひそめるのだが、
「なんだ、おいしいじゃないの、なんて言ってもらえるようになってきたんです。常連になってくれて、世間話をする間柄の人も増えてきました。それがなにより嬉しいですね」
と、トエエモンさんは手ごたえを感じている。
市場に出向いて、魚の仕入れもする
実のところ、いまでは外国人経営の和食店というのはけっこうある。でも現場で働いているのは日本人ということがほとんどなので、表向きはそうとはわからない。ところが「寿司令和」は違うのだ。マウンさんが前面に出て、外国人の寿司屋だとアピールする。
「そこに違和感を持つ日本人もいると思うんです。日本人以上にきちんと味を確かなものにしないと納得はされない。だからネタの鮮度や質にはこだわっています」
マウンさんは自ら足立市場に出向き、魚の目ききと仕入れも行う。外国人の料理人も増えてきた昨今だが、「市場で外国人と会うことはないですね」とマウンさんは言う。もともとミャンマーでも海に近いミャウーという街の出身で、魚はよく知っているのだ。
そうして仕入れたネタを、ずいぶん低価格で提供している。大丈夫か、と心配になるが 「まずは来てもらわないと」とトエエモンさん。
マウンさんは、もちろん「日本人はまず、目で味わう」こともよく知っている。だから盛り付けはていねいに映えるように。衛生面にも徹底的に気を使う。
そして浅草は外国人観光客の多いマーケットだ。言葉のわからない外国人でも注文しやすいように言語対応を進め、オーダーフォームもつくった。競争の厳しい街だということは店の誰もがわかっているけれど、
「日本で修行した技術で、やるべきことをきちんとやれば、日本人は認めてくれる。満足してもらえる自信はあります」
マウンさんは胸を張る。
日本を代表する食文化に、誇りを持って人生を賭けるミャンマー人がいる。ますます多民族化が進む日本にあって、彼らは先駆けのような存在になるのかもしれない。