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 だから日本に来たばかりの頃はカレーライスと唐揚げばかりを食べていた。しかし、そんな外国人であろうと親方はお構いなしに怒鳴り飛ばし、厳しく指導をする。昔ながらの寿司修行の世界に、マウンさんは図らずも叩き込まれたのであった。もちろんはじめは延々と皿洗いと下働きの日々である。少しずつ魚を扱えるようになっても、

「初歩的なミスばかりでね。さばいた魚を氷で締めるのを忘れて怒鳴られる。味つけのわずかな差で怒鳴られる。間違っていなくても怒鳴られる(笑)」

おつまみは全部380円で味良しコスパ良し

 カッとすることもあった。それでも、走り回っているうちに寿司の、和食の味がわかってくる。考えてみれば、親方は日本人も外国人もなく怒鳴ってくれるのだ。ためになると思った。自分が手がけた料理をお客が平らげてくれたり、あるいは残しているのを見て、考えるようにもなる。どうにか巧くなってやろう。技術を身につけてやろう。楽しくなってきたのだ。

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 やがて、つけ場にも立つようになる。

「なんでガイジンが握ってんだよ!」

 そんな声を投げつけられるのも、よくあることだ。

「でもね、そういうときは常連さんがかばってくれるんですよ」

 こいつぁいい寿司を握るんだから、まず食ってみてくれよ……そう常連が言ってくれるようになるまでに、24年が経っていた。

ミャンマー人がこんな本格的な寿司を提供してくれる時代なのだ

日本でがんばる同胞たちの励みになりたい

 マウンさんが寿司職人として認められたいま、いつしか外国人が労働力として大量に流入してくる時代になった。ミャンマー人もたくさんの留学生や技能実習生が日本で暮らしている。

「そんな後輩たちにも、ミャンマーにいる人たちにも、伝えたかったんです。外国人でも日本の文化を担うことはできるし、まじめに続けていれば自分の店を持つこともできる」

 独立したいというよりも、そんな気持ちから、思い切って冒険に出て、会社を設立したのだ。

「ミャンマーではなく、どうしても日本で店を出したかった。日本でこの仕事を学んだという自負があるし、日本人にも見てもらいたかった」

 と言うが、前職を辞めるときはなかなかに大変だったようだ。飲食の、それも厳しい寿司の世界に入ってくる日本人の若者は少ない。熟練の職人であるマウンさんは何度も引き止められたが、どうしてもチャレンジしたかった。