東京、浅草。雷門も近い、商店街の一角にその寿司屋はある。扉を開けると、威勢のいいかけ声が響いた。
「らっしゃい!」
活気ある店だ。メニューを見れば、握りや刺身のほかに揚げ物や炒め物などつまみも充実している。寿司屋であり、居酒屋としても使えそうだ。
注文するとすぐに、華やかに盛りつけられたひと皿が運ばれてくる。いかにも新鮮そうなネタが並び、お腹が鳴るが、手にしているのは浅黒い肌の異国の男性。優しげな笑顔が印象的な彼が、この店の「板長」マウン・ラ・シュイさんだ。
南国の顔立ちを見て驚くお客もいる。が、料理を口にすると、表情が変わるのだ。ほどよく脂の乗ったネタとシャリとが口の中でほどける。甘さと一緒にとろけていく。一品料理だって、白魚の唐揚げは磯の香りが立っているし、活しじみの出汁が効いた玉子焼きのふんわり優しいこと。日本人でこの味を出せる人が、どのくらいいるのだろうかと思う。
ここはマウンさんたち、ミャンマー人が経営する寿司屋なのだ。腕を振るう3人の板前は、日本で長年、日本人とまったく同じ土俵で、寿司職人として修行を積んできた人々。彼らが独立し、浅草で勝負をかけて出店したのが、この「寿司令和」だ。
ミャンマーから来て、日本で修行すること24年
「いまでこそ回転寿司や大手寿司チェーンでは外国人がたくさん働いていますが、私が来た当初はまだまだ少なかったと思います」
そう語るマウンさんが来日したのは1996年のこと。母国では軍事政権が民主化運動を弾圧し、経済は低迷、学校を出ても就職先がなかった。海外に希望を求める若者が多かった。
そんなミャンマー人たちが、東京・高田馬場などにコミュニティをつくりはじめた時期だった。まずは仕事をしなくてはと外国人も受け入れてくれる職場を探し、たまたま見つかったのが、とある寿司屋だったという。
「はじめはお寿司の味がぜんぜんわからなかったんですよ。ミャンマーは、カレーやスパイシーな料理など味が濃いもの、刺激が強いものが多いです。ところが和食は薄味で、繊細。まったく違うことに驚きました」