親の用意した檻の中で生きてきた
加えるならば、今回の事件では、教育虐待が世代間伝播していることも、注目に値する。
反抗期に親子が衝突し、親自身も自分のなかに非理性的信念や未熟な部分があることを自覚し成長できれば、世代間伝播は阻止できる。
佐竹被告にも反抗期はあった。しかし父親に真っ向からぶつかる勇気はなく、避けるようにして家を出た。しかも経済的にはいつまでも親に依存していた。それが佐竹被告の精神的自立をいつまでも阻止していた一因だと考えられる。
被告人の妻(当時)のMさんは、「パパに憧れて、褒められたくて、認められたかった」と崚太君の気持ちを代弁した。しかし私には、それがそのまま、78歳の父親に対する佐竹被告の、いまなお満たされることのない悲痛な心の訴えに重なって聞こえた。
できれば父親を喜ばせたい。父親に認められたい。しかも父親の望む方法で。幼いころからそれが佐竹被告の人生のテーマであり呪縛なのだ。でもできなかった。かといってまったく違う自分の人生を歩むこともなく、父親の管理下に51年間居続けた。
崚太君には自由な人生を歩んでほしいと望む一方で、潜在意識においては、崚太君の人生を利用して、自分ができなかったことを達成し、父親を喜ばせたいと思っていたのではないか。51歳になったいまでも、それしか父親を喜ばせる方法が思いつかなかったのかもしれない。それが悲劇なのである。
懲役13年。しかしそもそも佐竹被告は、51年間、親が用意した檻の中で生きてきたのではないか。刑務所を出てから、いよいよ自分の人生を歩み始めることができるかどうか。また、佐竹被告が刑期を終えることには91歳になっているはずの、佐竹被告の父親にも、自分が子どもたちにしてきたことの意味と結果に、真摯に向き合ってほしい。
それができなければ永遠に彼らは、自分たちのしてしまった罪の本当の意味に気づくことができないだろう。それでは崚太君が浮かばれない。