1965年作品(100分)/松竹/2800円(税抜)

 前回に続き、篠田正浩監督の作品を取り上げる。

 今回取り上げるのは『異聞猿飛佐助』。関ヶ原の合戦後の中山道を舞台に繰り広げられる、忍者映画である。

 徳川方と豊臣方の間での対立が深まる中で双方の忍者たちが暗躍し、誰が本当に味方なのか、それとも敵なのか。裏切っているのか、そうでないのか――。登場人物たちの本心がことごとく見えないという究極の人間不信の状況下で、味方からも疑われながら孤立無援の戦いを繰り広げる真田忍者・佐助(高橋幸治)の活躍が描かれる。

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 徹底して乾いたハードボイルドタッチの映像、それにピッタリとはまった高橋のクールな面立ち。岡田英次、小沢栄太郎、宮口精二、戸浦六宏、丹波哲郎、佐藤慶、浜村純――と名前を列挙するだけでゾクゾクしてしまう、闇に蠢(うごめ)く魑魅魍魎とも言える忍者たちを演じる名優たち。全てが完璧に絡み合い、めくるめくサスペンスの世界が隙なく展開されていく。

 ――と、なんの知識ももたずに時代劇映画として観るだけでも、物凄く面白い作品だ。

 が、製作背景を知るとまた異なる見え方をしてくる。

 実は本作は、篠田にとって松竹専属監督としての最後の作品となった。製作された一九六五年当時、経営が傾きつつあった松竹は、篠田に対して予算の大幅縮小を求めてくる。そこはなんとか説得できたが、今度は会社の合理化に反対したスタッフたちがストライキを始める。そのため、撮影は遅々として進まない。会社からは怒鳴られるし、スタッフは動いてくれない。その裏では会社に反抗的だった監督やスタッフたちへのリストラも進行する――。

 誰が敵で味方か分からない。というより、周りが全て敵に見えてくる。そう。本作における佐助そのものの状況に、篠田も立たされていたのである。そう考えると、ラストに出てくるある人物の「特別出演」の意味が見えてくる。

 作品終盤、同じ真田忍者の霧隠才蔵が登場する。そしてそれを演じたのが、俳優としては素人同然の、若き日の石原慎太郎である。

 篠田と石原の関係は深く、この時期に自身も強い人間不信に陥っていた篠田のことを様々な面から応援していたのが石原だった。前回取り上げた石原原作の『乾いた花』を篠田が撮ったのも、そうした関係性から派生している。

 物語中、誰も信じられない状況に陥った佐助にとって、才蔵は数少ない信頼できる人間として登場している。それはまさに、篠田にとっての石原の存在そのものであるといえる。娯楽時代劇に見えて、実は私小説作品だったのだ。

泥沼スクリーン これまで観てきた映画のこと

春日 太一

文藝春秋

2018年12月12日 発売