令和の皇后となられ、ご成婚時の輝くような笑顔を、取り戻されつつある雅子さま。
『雅子妃 悲運と中傷の中で』(文春文庫)から、新皇后の「あゆみ」を特別公開します。
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「スーツはまるで、防護服のようなもの」
帰国後、配属された北米二課は、日米間の経済問題を扱う重要なポストだ。日米半導体交渉などでは、何度か海外出張もこなした。通産、大蔵といった他省庁との情報のやり取りでは、根気強く活躍した。
天真爛漫のあどけなかった表情から、頬がすっきりとした端正な顔立ちに変化したのはこの頃である。
友人のひとりは、回想して言う。
「この頃は、お忙しかったためか常に緊張されているような感じでした。洋服も毎日替えて、それに合わせたブランドのスカーフを身に付けていらっしゃいました。洋服にホコリがつくことを気にされるようで、前肩をよくはらっていたのが印象的です。『几帳面ね』というと、『自宅に帰るとまずスーツを衣紋かけにかけて、ホコリをはらって、職場で染み付いたタバコの臭いをとるの。何度も手を洗って、やっと落ち着くという感じ』と、語っていたことを思い出します」
雅子さまに何度も手を洗うような仕草が見られるようになったのは、北米二課に勤務するようになってからだった。潔癖性というわけではないが、どこか神経が張り詰めているようだった。当時の流行もあるが、雅子さまはかっちりしたスカートのスーツを好み、スカーフを首に巻くことが多かった。
この友人がつづける。
「スーツを着ると気が引き締まるというか、仕事にやる気が出てくる。背広を着るサラリーマンと同じ気持ちかもしれないというようなことも語っていました。まるで、防護服のようなものだと言って笑っていました。自分の気持ちを仕事のモードに切り替えるためのものだったのかもしれません」
当時、日本でもアメリカの「キャリア・ウーマン」という言葉が定着して、結婚後も共働きをして子どもはすぐにつくらない夫婦スタイルの「ディンクス(=ダブルインカム・ノーキッズ)」が流行っていた。
雅子さまのスカーフとスーツ姿、トレンチコートに大きなカバンというスタイルは、まさにそんな時代を象徴していた。そこには、「意志」と「防護」の両方の意味が隠されていた。
しかし、職場での雅子さまは決して戦闘的な雰囲気ばかりではなかったのである。