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2019/08/06

genre : ニュース, 社会

「小和田譲」期待と嫉妬が降りかかった職場での雅子さま

 上司には「小和田嬢」と呼ばれた。父親の恒氏を知る人から呼ばれたことがきっかけで、そう通称されることになったのだが、この頃から別の意味を持つようになっていったとも言われている。

「外務省」看板の前で父・恒氏と ©文藝春秋

 雅子さまが置かれていた状況は容易ならざるものだった。当時の同僚が話す。

「彼女は、世情にはうとくてどこか浮世離れしたようなところがあった。お嬢さま特有の脇の甘さというのかもしれません。与えられた仕事は実に優秀にこなすんですが、その先をどうやって判断していくかという外交の本質の部分は、まだこれからという重要なときでした。確かに、二世官僚、学歴、美人、お妃候補などと入省したときから目立ちすぎたため、そんな彼女に必要以上の期待とジェラシーといった厳しい目が向けられることがあったのも事実です。

 仕事には、勉強とちがって周りの状況を見たり、タイミングを計ったりすることも必要となってくる。自分が努力した分だけ結果が返ってくるとは限らないものですよ。人間関係もうまくやらなくては能力を生かせないときもあるし、スランプからうまく抜け出すためにはコツもいる。お育ちの良いのんびりした性格と神経質なほど几帳面な性格。どちらも私の目に映った雅子さまなのですが、この大きな隙間に他人からの批判と攻撃が入り込む余地がある。霞が関村は人間関係の恐いところですからね。彼女のことを『ノンキャリの女性よりも仕事が出来ない』などと陰口を叩く人までいたようです」

オックスフォード大学ベーリオール・コレッジ入学時(外務省在外研修のため渡英) 宮内庁提供

「次世代の新しい外交官になったかもしれない」

 この同僚は、外交官としての雅子さまに期待を寄せていた。

「しかし、彼女はとても頭が良かったし、努力家だから、そんな暗雲から抜け出して、次のステップに行こうと本人なりに必死にもがいている感じでした。私は、数少ない皇室入り反対派だったから、ここで踏ん張っていただきたいなとも思いました。あの枠にとらわれない芯の強さと生真面目さと情の深さは、次世代の新しい外交官になったかもしれないと今でも思っているぐらいです」

©文藝春秋