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「加山さんのスケジュールの都合でレコーディングは7月25日です。彼は生きて行くために仕事をしなければなりません。僕らにできることはこれしかないと思うんです。岩谷さん、お願いします」

 渋谷は拝むように手を合わせた。

「そうよね、わかってる。やるわ」

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 とは言うものの、時子は1年前あたりからひどい頭痛やめまいに悩まされていた。恐らく今年54歳という年齢で、いわゆる典型的な更年期障害の症状だった。集中力と気力も以前のようには続かず、仕事が思うように運ばない。 

日生劇場のロビーで越路吹雪、劇場スタッフと

 その上、75歳になった母に、物忘れなどの認知症の症状が表れ始め、食事や洗濯、掃除など、家事の負担が時子にかかるようになっていた。家事を手伝ってくれる人を頼みたいと思っても、母が、

「家事なんて人に頼むほどのものではない」

 と言い張り、家に他人が入るのを嫌がった。

 幸い越路はリサイタルの地方公演中だったが、もう一方には、植木等のテレビ・ドラマの挿入歌、ピンキーとキラーズの新曲などの仕事も抱えていた。

「今は事情をお話できないんですけど、実はのっぴきならないことが起こってしまって……。本当にご迷惑をおかけして申し訳ありません。少し〆切を少し延ばして頂くことはできませんでしょうか」

「わかりました。大丈夫ですよ。いつも岩谷さんには僕のほうがさんざんご迷惑をかけてますから。プロデューサーにはボクのほうからうまく言っておきます」

 こういう時に宮川泰やいずみたくとの、長年のコンビの有難さがつくづく身に沁みる。日頃の信用がものを言って、担当者も皆、寛大だった。

 加山のデモ・テープからは追いつめられて作った苦しい心境が伝わって来た。 

東宝文芸部にて

 いきあたりばったりのものには、こちらもいきあたりばったりでかかるしかなく、できたものから渋谷に手渡した。

「ありがとうございます。編曲の森岡さんも苦悶しています」

 残り4曲となったところで、ついに言葉はひとつも浮かばなくなった。渋谷があれこれと曲のテーマや設定を提案して助け舟を出してはくれても、借り物のアイディアではなかなかまとまらなかった。睡眠不足から酷い肩こりと頭痛に襲われ、おまけに奥歯の被せものまで外れたが、歯医者に行く時間もなかった。ほとんどノイローゼに陥った時子に対して、母は少しの同情も無く、絶対的な自分の時計で、毎夕、6時になると支度をして外食に連れ出してもらうのを待っていた。母がおんぶお化けに見える。

 最後の1曲を残して、LP盤『愛はいつまでも』レコーディングの朝を迎えた。

 加山は前日、若大将シリーズ第16作目となる『俺の空だぜ! 若大将』のアフレコで喉を痛めて声を嗄らしていた。録音は予定通り午前中から開始され、夜中近くに及び、3曲が翌日に持ち越された。

 時子は帰宅後、朝4時までかかって最後の1曲を仕上げた。

 綱渡りのようなその場その場のやり方で、それでもなんとか形になっていくのは、5年間、多くの曲を一緒に作ってきたチームワークの成せる業である。2日目は正午近くにスタジオ入りし、16時にレコーディングは終了した。加山はその日の23時発のパンナムでアメリカに発つことになっていた。

加山雄三とのレコーディング。渡辺美佐の顔も見える

「皆さん、このご恩は一生忘れません」

「いつ帰ってくるんだい?」

「1ヶ月半で必ず帰って来ます。僕は絶対に逃げませんから」

「わかってるわ。身体には気をつけてね」

「はい。ありがとうございます。ひとつラスベガスで稼いできますよ!」

 加山は冗談を言って、皆を笑わせた。

 数日後、ホテルが23億円の負債を抱えて倒産したことが発表されると、テレビのワイドショーや週刊誌は、ホテル経営がいかにずさんだったかを解説し、華やかな芸能一家の転落劇をことさら大きく扱った。夏じゅう、その話題で持ちきりで、良い時には持ち上げて、いざとなれば突き落とす残酷な人間の性というものを、時子はまざまざと見せつけられた思いだった。