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イチローが知っている王貞治の偉大さ

 イチローはイチローで、イチローならではの王貞治の偉大さを知っている。引退後におこなわれた「Number」での石田雄太によるインタビューで、2001年から年間200本安打を達成し続けていたのが2011年に途絶えてしまったときのことを述懐している。「『もう一度、200本のヒットを打ちたい』と思っていました。かつて、王(貞治)選手が13年連続でホームラン王を獲って、それが途切れたあと、ふたたびホームラン王に返り咲いた」(注2)ようにと。しかし王貞治のようにはいかなかった。

2015年にマイアミ・マーリンズ入団会見に出席したイチロー氏 ©文藝春秋

 ここで面白いのは、イチローは将棋や囲碁の敗者のように「いつか自分も『負けました』と言えるようになりたい」と思っていたと語っていることだ。これはいったいどういうことか。野球は打率3割でも上々の「負けを認めづらい競技」だが、いっぽうで負けを認める屈辱が次へのエネルギーになるとイチローは考えた。そして200本安打が途切れ、ふたたびそれを達成しようにも出来なかったとき、イチローはようやく「負けた」感触を得る。

 端から見れば記録が途絶えることが負けに思えるし、ひとによってはそこで気力を失ってしまおう。しかしイチローは返り咲けなかったことではじめて負けたと思った。そして負けたといえることを「よかった」と言うのであった。

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神取忍は「ガマンがきく人間が勝つ」と言ったが

 そういえば柔道選手であった神取忍は、大会での敗者復活戦について「自分が一度負けたという事実にガマンがきく人間が勝つの」と言っている。自分が負けたという事実に負けると敗者復活戦にも負け、負け犬になるのだと(注3)。

 平々凡々の人間にも、神取忍の言葉までは就職活動などに置き換えてなんとか理解できる。しかしイチローの、10年も続けた記録が途切れたときの胸中、さらには「負けました」と言えるようになりたいという心境は、知りようのない領域の葛藤である。もっともそれを乗り越えようが、王貞治にしたらそれは野球での話であって、「世間に出たら赤ん坊」なのかもしれない。

©文藝春秋

会見での印象的な言葉の数々

 引退会見で野球の魅力とはなにかと聞かれたイチローは、「同じ瞬間がない。必ずどの瞬間も違うということ」と述べている。いわば一回性の魅力である。そういえば清原和博も違う角度からそれについて語っている。人気者ゆえに引退後はテレビ番組に出るようになるが、選手時代のような満足感は得られなかった。それは「テレビは撮り直しが出来る」からだと(注4)。

 そうした世界で、プロ野球選手になるという子供の頃からの夢を叶えて、何を得たのか。イチローは、「『こんなものかな……』という感覚ですかね」と述べている。そしてその感覚を得たことは大きいかも知れないと続ける。