今年3月、イチローは東京ドームでの試合後に現役引退を表明した。その記者会見での言葉は円熟味を感じさせるものであった。下の名前で呼ばれることもあって、結婚しようが30を過ぎようが若々しい印象であったのが、いつしか髪に白いものが混じり始め、そうした容姿のみならず、言葉も深みを醸すようになっていた。

引退会見をする米大リーグ・マリナーズのイチロー ©Darren Yamashita-USA TODAY Sports/Sipa USA/時事通信フォト

 そんなイチローにむけて、王貞治はこんなことを言っている。

「あれだけ45歳まで野球をやった人がね、世間に出たら赤ん坊みたいなところがあるんだ。彼もそれは十分に分かっているでしょう」「餅は餅屋でね。自分の得意な部分で生きないとね」。(「Number」2019年4月25日号)

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 イチローほどの者にこんな言葉をかけられるのは、王貞治くらいだろう。それはたんに選手としても監督としても偉大な成績を残した野球界の先人だからではない。

 スポーツの世界で活躍したことで、当人は万能感を得たり、周囲からは他の分野でも成功することを期待されたりする。たとえばサッカーの中田英寿選手が引退後は企業や文化に関わるようにだ。こうしたことへの危うさを王貞治は知っているのだろう。それは「世界の王」と呼ばれ、「人格者」の鎧を着させられたからだ。

「名監督」王貞治の人間くささ

 その昔、「名選手、必ずしも名監督にあらず」は監督としての王貞治への当て付けのような言葉であった。現役時代と同じ背番号を背負って巨人の監督を務めるが、結局チームを日本一に導くことはできなかった。その後、巨人も背番号「1」も捨ててホークスの監督になるが、不甲斐ない成績からファンに生卵を投げつけられもした。

東京駅でファンにサインをする現役時代の王貞治氏 ©文藝春秋

 しかしホークスでの5年目となる99年に、ついにチームをリーグ優勝へと導く。当時の雑誌を紐解けば、スポーツライターの阿部珠樹は、王貞治は「世界の王」という完全無欠の近寄りがたい存在から「失敗もする人間くさい人物」(注1)であると選手たちに理解されるようになり、そうしてようやくチームはひとつになったのだと評している。その後、胃癌の手術をして体力の低下と闘いながら監督を続けもした。

 だから冒頭の言葉はイチローへの助言のようでいて、一筋縄ではいかなかった自分自身のこと、それでも野球の世界で生きた自らを振り返っての言葉にも思え、読み入ってしまう。