恋人を思って創作しても、歌詞は自分のことばかりの理由
さて、「自分の身を滅ぼすほど、ひとりの男性を愛しました」と自身の言葉で語っているし、恋愛の暴露本として捉えることも出来るけれども、あの頃の楽曲を聞き直しても何だか二人の蜜月を歌ったラブソングには聴こえない。あなたのことだけを思って歌を書いても、自分の事ばかり書いてしまう。
これは浜崎自身のヒロイン体質にも依るだろうが、やはりマサと出会って別れたことによって立ち上がった孤独の輪郭、他人を愛する事で初めて生まれる孤絶の磁場が強大だったということなのだろう。「人は皆通過駅と この恋を呼ぶけれどね ふたりには始発駅で 終着駅でもあった」(『Far away』)と歌う浜崎を思い出す。生きる意味をくれた人、自分を自分にしてくれた人、濱崎歩を“浜崎あゆみ”に仕立て上げた人。元彼っていう呼称のしっくりこなさがすごい。この本を読んで感じ取れるのは未練ではなくて、忘れられない恋を超えて、人生でずっとずっと大切な人として存在しているのだなということだった。それでも本当のことは、二人しか知らないけど。
なぜ今のタイミングで告白本を出版したのかは測りかねる。けれども、浜崎あゆみの浜崎あゆみらしさに惹かれている者としてはまた『MY STORY』が更新されたんだね……と痺れるのだった。人生を、悪趣味なほどド派手なショーにしなければ、生きていけなかったおひめさまよ。自分の人生の主役は自分である事を、彼女は私たちに教えてくれた。絶えず移ろいゆく消費社会の中で孤独をさらけ出して戦う強さを、いつまでも見せてくれている。個人の人生を生きることと、人生がスペクタクル化されることの狭間で浜崎はずっと引き裂かれながら。それでも続けているのが最高にかっこいい。
“浜崎あゆみ”らしさとは、「引き裂かれていること」
そう、浜崎あゆみはいつも引き裂かれているのだった。私が思う浜崎あゆみ“らしさ”がここにある。ひとりの人間としての人生と、スターであり商品としての“浜崎あゆみ”。生身の人間と加工されたデジタルな画像。エイジングへの反抗。強さと弱さ、光と影。愛されたい願いと、こんな私が愛されるはずがないという悲しみ。愛したい渇望と、誰のことも愛することなんて出来ないという諦め。自分しか愛せない絶望と、自分だけを愛せない絶望。明るい曲調で歌われる嘆き。サーカスのような仰々しい演出で歌われるたったひとりの地獄のような感情。