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イスラム国による人質事件で“看板倒れ”

 安倍官邸もその例外ではない。第二次安倍内閣発足と共に、官邸インテリジェンスの中枢として鳴り物入りで創設された「国家安全保障会議(日本版NSC)」に連動して打ち上げられたのが「内閣情報局」構想である。戦時中の情報局を復活させようというもので、「警察庁の牙城」(外務省幹部)である内調を衣替えさせて、内閣情報局を新設して、外務省主導のNSCの傘下に置こうと画策したのであった。

 しかし2015年年明けに内閣を直撃した中東の過激派組織「イスラム国」(IS)による日本人人質事件では、菅義偉官房長官が各省庁から緊急招集したのは、警察人脈の、杉田官房副長官、西村泰彦危機管理監(79年)、北村情報官、瀧澤裕昭警察庁外事情報部長(82年)と、外務省出身の谷内 正太郎NSC局長(69年)の、「5人組」(官邸スタッフ)。

菅義偉官房長官 ©JMPA

 結局NSCは、「元々欧米の情報機関から貰った情報を分析するだけの集団にすぎない。その情報漏れを担保する為に、わざわざ特定秘密保護法まで作ったのだが」(閣僚経験者)、それを外務省が中心になって、さも諜報からオペレーションまで、“オールマイティの情報機関”と「身の丈以上」(防衛省幹部)に演出してきたことが、徒に人質解放への期待感を膨らませるだけで、看板倒れに終わった。対策会議では谷内局長も末席に甘んじるしかなかったようだ。

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 そのNSC局に代わって異彩を放ったのが外事情報部だったという。

「警察庁vs外務省」の代理戦争の再燃

 部長の瀧澤氏は、兼元俊徳内閣情報官が1996年のペルー日本大使館人質事件で奔走した国際刑事機構(ICPO)総裁時代に秘書官を務め、各国の情報、捜査機関の人脈に精通。国内でも内調経験も長く、インテリジェンスのエキスパートとの呼び声が高かった。そして瀧澤部長の指揮の下、現地に急派された国際テロ対策専門チーム「TRT」がヨルダン、トルコ等のカウンターパートである情報機関との連携で、一時人質交渉への道筋をつけるまでに至っていたようだ。瀧澤氏が北村情報官の後任に就くのは、既に内々定している。

フランス・リヨンにある国際刑事警察機構 ©iStock.com

 が、ここでも、内調は無力であった。このため、国際テロ事件が起きるたびに、政治はインテリジェンス強化策として情報機関の創設を繰り返し謳ってきた。2013年にアルジェリアで日本人従業員10人が犠牲となった、天然ガス精製プラント「日揮」襲撃事件も同様。外務省に対外情報庁の設置が提言され、今度は瓢箪から駒、提言をリメイクした「国際テロ情報収集ユニット」が外務省内に新設された。当初は官邸インテリジェンスの強化を主張する北村内閣情報官と、「外交の一元化」を錦の御旗に掲げる兼原信克内閣官房副長官補(81年)との、「警察庁vs外務省」の代理戦争の再燃となったが、結局安保法制化を優先する安倍首相らが外務省に与したため、当時治安関係者らから安倍首相への恨み節を良く聞かされた。