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日本が「サイバーセキュリティ後進国」へと貶められた理由――「内調」の虚像と実像 #2

2019/09/03

 一般には、なじみの薄い日本の情報機関は現在、各情報機関の連携を図る目的で、隔週、首相官邸で開催される合同情報会議に集約される。霞が関の官僚組織を束ね、「影の総理」とも言われている、事務の内閣官房副長官が主催し、メンバーは内閣情報官の他、内閣危機管理監、公安調査庁次長、防衛省防衛局長、外務省国際情報統括官、警察庁警備局長で、彼らが日本の「情報コミュニティ」を構成している。中でも、警察庁警備局を司令塔とする公安・外事警察が日本のインテリジェンス機関の中核を担い、内調トップも1952年の発足以来、警察官僚が務めてきた。

小泉内閣の時に起きた“クーデター”

 “クーデター”が起きたのは小泉内閣の時であった。

 兼元情報官の後任選びの際、当時の旧自治省出身の二橋信弘官房副長官(64年)が突然、後任に経済産業省からの起用方針を通告してきたのである。

郵政民営化是非を問う第44回衆議院議員総選挙で、応援演説をする小泉純一郎氏 ©文藝春秋

 小泉内閣登場以降、有事法制、9・11事件後のテロ対策と、安全保障政策上では自衛隊に警察の任務までもすっかり奪われてしまい、組織内部からは警察不祥事や裏金問題が噴出し、日本警察の地盤低下は著しかった。元々警察庁が情報官に加え、危機管理監、首相・官房長官の両秘書官の4ポストを独占していることに、「警察官僚の官邸支配」と他省庁からの根強い批判がある。

「日本のインテリジェンス部門のカウンターパートは?」

 そもそも、「平和の配当」に浴し、経済重視の「一国平和主義」を貫いてきた戦後日本は、湾岸戦争を機に(1990年‐91年)、国の有り様、とりわけインテリジェンス機能の見直しが避けて通れなくなっていた。そして細川、羽田、村山内閣時に起きた北朝鮮の核開発疑惑(93年)、金日成主席の急死(94年)、阪神大震災(95年)、地下鉄サリン事件(同年)という重大事件への対応の失敗から内閣の危機管理とその前提となるインテリジェンス強化へと具体化したはずだった。それだけに今更、「インテリジェンスが何故経済情報なのか」との思いが警察官僚には強かった。

1995年に発生した阪神大震災 ©文藝春秋

 確かに日本では、国の安全保障に関する情報活動の内容が明確に法律化されていないし、況してや“謀略機関”の如く受け止められている内調も諜報・破壊工作といったオペレーション(作戦)を実施する訳でもない。この為に、経済官庁を含めて各省庁がバラバラに情報担当と称しているのが実態で、CIAなどからは日本からの入れ替わり立替わりの来訪に、インテリジェンス部門のカウンターパートは一体誰なのかとの不満が出る程である。一応警察庁としては森喜朗内閣で首相秘書官だった三谷秀史初代外事情報部長(74年)を押し込むことで事なきを得たが、情報官交代劇のここでも顔を出したのが省庁間の争いであり、これが日本の情報組織発展の大きな弊害となっている。