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 ステージの時間は、正味30分程度。日本でも披露したことのある曲ばかりだったが、全て新鮮な気持ちで見ることができた。日本に比べて湿気の少ない、気持ちのいい空気と木漏れ日の中、歌って踊る美 少年はとてもキラキラしていた。アクロバットをしたり衣装を早着替えしたりするたびに、現地の人から歓声が上がるのも嬉しかった。会場で合流した友達と、何度も「来てよかったね……」とささやき合いながら、コンサートを楽しんだ。

 その日は、友人となぜか中華料理屋でチャーハンを食べて解散。アメリカまで来てなんで中華を食べることにしたのかは覚えてないけれど、美 少年を見た後に飲んだ青島ビールはひときわ美味しかった。

ロサンゼルスで飲んだ青島ビール(筆者提供)

現地の人たちから「あの子たち何者なの?」と聞かれ……

 翌日は、午前中に友人とハリウッドを観光し、14時から2つ目の現場、グランドパレードに参加した。リトル・トーキョーにゆかりのある有名人が街を練り歩く催しだ。市長やお祭りの主催者、ミスリトル・トーキョーのお姉様がた、そして第二次世界大戦で生き延びたおじいちゃんたちも出演していた。

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リトル東京での祭りの様子 ©iStock.com

 美 少年は、メンバーカラーのワンポイントが入った白いスーツを着て、オープンカーに乗って街を一周した。控えめに言っても「スター」という出で立ちだった。現地の人たちから、何度も「あの子たち何者なの?」と質問され、その度に「日本で大人気のアイドルです!」と適当な英語で返事をした。リトル・トーキョーの住人たちも、きっと美 少年のファンになったことだろう。

 さらに予想外だったのが、この催しが写真・動画撮影可だったことだ。海外だし、もしかしたら……とは思っていたが、まさか好きなアイドルの写真を撮れる日がくるなんて……。持っていたカメラで一心不乱に撮影したが、あとで見返すと興奮しすぎてことごとくブレていた。こんな機会、もう二度と無いような気もするけれど、万が一のために、日本に帰ったらカメラ教室に通おうと決意した。

ゆかりの地で、最後に育てたアイドルが公演するという運命

 そしてその日の夜は、ロサンゼルスでの最後の催しであるコンサートだ。会場は、ジャニーさんのお父さんが務めていた高野山真言宗アメリカ別院の本堂。ここで1時間ほど、現地の和太鼓チームとコラボしたコンサートがおこなわれた。

コンサートが行われた会場(筆者提供)

 ところで、ジャニーさんはこのイベントの1ヶ月前、7月9日に息を引き取った。もしかしたら、ジャニーさんも一緒に行くはずだったかもしれない、美 少年のロサンゼルス遠征。結局それが叶うことはなかったが、亡くなった直後に、生まれ故郷のお父さんが務めたお寺で、最後に育てたアイドルがコンサートをするというのは、なんとも運命的なものを感じてしまう。