歴史というマクロな視点で人間を観察する
――本作を、2001年~17年という長い時間のなかで描こうと思われたのはなぜでしょう。
ジャ・ジャンクー この作品は、ビンとチャオのラブストーリーであると同時に、古い世界から新しい世界に入っていく人の心の変化を描いた作品です。ここ数十年間で中国に起きた変化は実に劇的なものです。特に2001年は、WTOへの加入や北京五輪の開催が決まり、中国が大きな節目を迎えた年。社会が変わるなかで、人々の生活や意識はどう変化したのか。歴史というマクロな視点で人間を観察するためには、2001年を起点に、17年間という時間が必要でした。
過去に同じように長い時間を描いた作品に『プラットホーム』(2000年)があります。ここでは1979年から89年までの10年間を映しました。ただこれはあくまでもストーリーからの必要性によるもの。その後、長い時間軸のなかで撮った作品はほとんどありません。『青の稲妻』(2002年)も『長江哀歌』(2006年)夏というある一時期を撮った映画です。夏という季節があの二つの物語には重要だったからで、何年もかけて彼らの物語を語ることは考えていませんでした。しかしこの数年、人々が長い時間のなかでどう変わっていったかを考えたいと思うようになりました。今の中国は、西洋の国々が百年、二百年の間に経験した変化と同じくらい、ものすごいスピードで変化している。だから今回はかなり自覚的に、長いスパンで描くことを選んだのです。
――ただ前作『山河ノスタルジア』(2015年)でも、過去から現在、さらに未来にまで物語の時制は延びていきますね。
ジャ・ジャンクー 『山河ノスタルジア』では、若い世代が将来どうなっていくのかに興味があり、過去から未来まで時間軸を伸ばしていきました。今回は、過去に青春時代を過ごし、今や中年にさしかかった人々がどのようにこれまでを生きてきたのかを描きたかった。だから最後は現在で終わります。
――一般的に、歴史を描くというような大きな構図のなかでは、小さなドラマはおざなりになってしまう危険もあると思うのですが、本作では、21世紀の中国の歴史を描くことと、二人の恋愛関係を濃密に描くことが、見事に絡み合っています。監督にとって、両者は全く矛盾しないものですか。
ジャ・ジャンクー 大きな歴史的視点に立つことと、二人の男女の情の通い合いを描くことの間には、何の矛盾もないし、当然のことだと思います。日常の積み重ねが歴史になるわけですから。私は、どんなに小さなテーマでも、映画には歴史を観察する視点が絶対に必要だと思っています。人間は常にあるシステム内で生きている。社会システムをきちんと捉えたうえで、そこに生きている人間の情感をとらえるということ、彼らの情感の背後には何があるのかを見極めて人物を描くことが重要なのです。