私たちをすくうのは、連帯だ
私たちをすくうのは、恋愛ではなく、連帯だ。そのエピソードを繰り返し描き、凪と慎二の成長を見守るのが『凪のお暇』という物語になっている。『凪のお暇』の漫画がそこを描いたからこそ、実写ドラマ版がエピソードを拡張する際に取り上げたのが「慎二とゴンのホモソーシャルな関係性」だったのだろう。
最後に紹介したいのが、ドラマから原作漫画に戻って、『凪のお暇』の最新刊である6巻で登場する台詞である。凪がずっと苦手だった母親と向き合う場面で、こんな台詞がある。
「ずっとスニーカーで楽してたから 懐かしいよこのふくらはぎの緊張感 なんだか時が戻ったかのよう」
「こんなノリで昔の人達に会ったら かつての暗雲の思考に戻ってしまうのでは」
「と なりそうなところをおっ」
「みんなの顔を思い出して堪える!! いでよ執着心!! 勝つんだ!! 私は絶対今日のこの日を!!」
(『凪のお暇』(6)コナリミサト、株式会社秋田書店)
苦手な母親を目の前にして、暗雲の思考……つまりは「お暇」以前に過ごしていた自分に戻ってしまいそうな時、凪はこう呟く。「みんなの顔を思い出して堪える」と。ここでいう「みんな」とは、「お暇」の間に出会った、アパートのお隣さんや旅先で出会ったバーの人々である。
『凪のお暇』が恋愛漫画だったとしたら、自分がピンチに陥ってる際に思い出すのは、恋の相手だった慎二やゴンかもしれない。しかし『凪のお暇』が連帯の物語だからこそ、ここで凪が真っ先に思い出すのは、自分を応援してくれている、社会的につながりのある人々なのである。
これからのアラサー女性に必要なのは、恋愛ではなく連帯だ……と『凪のお暇』が言っているかどうかは分からないが、それでも、2019年になってこのような物語が人気になるのは、潜在的に「そうであったらいいな」という願望がどこか私たち視聴者・読者にあるからだろう。『凪のお暇』実写ドラマそして原作漫画の結末も、どのような方向性へひらいてゆくのか。