1ページ目から読む
2/3ページ目

30歳でようやく「社会人1年生」に

 この解説文からもうかがえるとおり、若林の文才はすでに知られるところである。2016年にキューバを一人で旅した体験をつづった『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』(2017年)は、昨年、日本旅行作家協会主催の斎藤茂太賞を受賞した。本の情報誌『ダ・ヴィンチ』での連載をベースとしたコラム集『完全版 社会人大学人見知り学部 卒業見込』(2015年)および『ナナメの夕暮れ』(2018年)は、人見知りで自意識過剰だった若林が、自分と向き合いながら、30歳をすぎてやっと社会と折り合いをつけていくさまをつづった記録である。

 若林は2000年、春日と「ナイスミドル」(2005年にオードリーと改名)を結成し、お笑いの世界に飛び込む。だが、20代のときは、ほかの誰かの漫才の形をなぞるだけで、自分たちのスタイルをずっと見つけられずにいた。《だから、自分と春日の最大公約数的なものがちゃんとつくれて、それを一度でもテレビで披露できたら、お笑いはきっぱりやめようと思ってた》という(※3)。その目標は2008年正月に初めてテレビで漫才をして達成され、「やっとこれでやめられる」とすっきりした気持ちになった。しかし、そのあとすぐにネタ番組ブームが起きて、仕事が一挙に増え、やめるどころではなくなる。さらにその年のM-1グランプリに出場すると、暮れの決勝で準優勝して、たちまち脚光を浴びた。

中学2年生のときにクラスメイトになった若林と春日。コンビ結成は2000年 ©文藝春秋

ADVERTISEMENT

 若林は30歳にしてブレイクを果たし、初めて自分が社会に参加しているという感覚を味わったという。彼はこのときを「社会人1年生」とカウントする。それでも『ダ・ヴィンチ』で連載を始めた「社会人2年生」の時点では、《スタバとかでコーヒーを頼む時に「トール」と言うのがなんか恥ずかしい。「グランデ」なんて絶対言えないから頼んだことがない》と、まだ自意識過剰がはなはだしかった(※4)。それも10年後、40歳を前にしたころには、《こういう気持ちはどこから来るかというと、まず自分が他人に「スターバックスでグランデとか言っちゃって気取ってんじゃねぇよ」と心の内で散々バカにしてきたのが原因なのである。/他者に向かって剥いた牙が、ブーメランのように弧を描いて自分に突き刺さっている状態なのである》と自己分析できるまでになる(※5)。