「忠生中学生徒刺傷事件」にみる「校内暴力の時代」
――それが60年代の高度経済成長を経て、70年代には「校内暴力の時代」になったのはなぜでしょうか。
石井 まず高度経済成長期に核家族化が進んで、地方から都心部へ多数の人口が流入しました。いままでだったら地方コミュニティのなかで家庭に問題が起きたら親戚や地域の人に助けを求めやすかったのが、問題を家庭内で抱え込みやすくなった。大量生産・大量消費社会の出現を背景に、家を買うのにローンを組む人が増え、クレジットカードが普及し、消費者金融が拡大していったのもこの時期です。日本の企業が世界に進出して国内の景気がよくなる反面、この時期、サラ金よって家族が離散したり、成長の恩恵にあずかれない家庭の格差はどんどん拡大していきました。
この頃は、核家族に対する理解と支援がなかったうえに、当時の様子を学校の先生たちに聞くと、「闇金」の横行で一回借金したら雪だるま式に返せない額に膨らんで、親が「蒸発」してしまう家庭もけっこうあった。児童養護施設に引き取られた子供たちの多くは経済的な問題を抱えた家庭でしたし、差別などもあからさまな形でありました。つまり、社会によ って貧困家庭が押しつぶされている構図が明らかだったのです。
そこで、「社会が家庭を壊したんだ」と大人が支配する社会に不満を抱いた高度経済成長期の子供たちは、中学生・高校生になった70年代に校内暴力という形で抱えていたフラストレーションを爆発させます。先生に対する暴力行為や生徒同士の血を流すような喧嘩、学校の窓ガラスをわってバイクで走り回るような不良行為が日常茶飯事。80年代放送のドラマ『スクール・ウォーズ』の世界なわけですが、TVだと熱血教師がみんなを押さえつけていたのが現実にはむしろ先生たちのほうが痛めつけられていた。