『大隈重信(上) 「巨人」が夢見たもの』(伊藤之雄 著)

 早稲田大学の創設者、大隈重信ほど広く世に知られ、しかし実像が掴みにくい政治家はいない。イギリス型の議会政治を目指した足跡が評価される一方で、言動が一貫せず「よく分からない」人物なのだ。

 著者は、人間的な厚みをもって近現代の政治家を描いてきた。不人気の山県有朋ですら、著者の目を通すと魅力的に映る。だが、その手腕をもってしても、約九百ページという膨大な記述を要するほど、大隈という人物は難物のようだ。

 佐賀藩から明治新政府入りした大隈は、薩長の主流派から疎外され、明治十四年の政変で下野。以降、野党の総大将となる。権力の中枢で辛酸を舐めながらも数々の政策を実現させた経験は、常に幾つもの顔を使いわけ、「演出と根回し」を怠らないしたたかさとなって現れる。

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 伊藤博文への屈折した感情が興味深い。下野させられた「被害者意識」。「進歩主義者」としての共感。利ありと見れば共闘も辞さない。桂内閣に秋波を送りつつ、自ら率いる憲政本党を伊藤政友会に合流させて権力奪還を試みたりもするが、最後はだいたい伊藤にしてやられる。

 藩閥エリートの伊藤に対し、大隈は「世論」を武器にした。「大名」のような暮らしをしながら「大平民」と称し、庶民的なイメージ戦略を展開。英語は苦手なのに、海外通の印象を流布。国の将来を楽観的に語っては国民に期待を抱かせる。そんなポピュリズム的手法で人気を博すも、裏では「世論」と「輿論」を使い分けたとの著者の分析は、複雑な大隈像を理解するためにも精読が必要だ。

 この時代の野党は、強硬外交に減税要求が定石。大隈の持論とは必ずしも一致しない。それでも様々な組織を調和させ、時には自説を翻し、時宜を得ればヒラリと神輿(みこし)に乗る。政権の座に就けば一転、露骨な選挙干渉も躊躇しない。「正しい目的のためには多少の不正や裏切りはやむを得ない」という冷徹な現実主義に、凡人は圧倒され煙に巻かれる。それでも苦境に陥ると胆石痛に苦しんだというから、人知れず抱えたストレスは相当だっただろう。

 本書は、大隈ファンが目を背けがちな「対華二十一カ条の要求」にも踏み込む。外相の加藤高明が独断でまとめた要求を、目をつぶって承認したのは、評判の悪い加藤を自らの後継に据えるためだったと著者はみる。後にこれが中国侵略への第一歩と酷評されようとは、さすがの大隈も予想できなかった。

 なぜ大隈人気は衰えなかったか。一言でいえば、大隈は明るい。挫折しても、めげない。底知れぬバイタリティで、閥族には「警鐘」としての存在感を放ち続けた。とらえるに余りある「巨人」と著者は結ぶ。

 いつの世も、健全な政権運営には強い野党が必要だ。本書は「巨人」の野太さを学ぶに絶好の書である。

いとうゆきお/1952年、福井県生まれ。京都大学大学院教授を経て、同大名誉教授。日本近現代の政治外交史を研究。『山県有朋』『伊藤博文』『昭和天皇伝』『原敬』など著書多数。

ほりかわけいこ/1969年、広島県生まれ。ノンフィクション作家。著書『原爆供養塔』(大宅賞)、『狼の義 新 犬養木堂伝』など。