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天才画家・北斎が「富士山をあまりに急勾配で描いた」驚くべき“描線での演出法”

アートな土曜日

2019/09/28

 東京のJR両国駅を降りて、駅前に据えられた両国国技館を横目に見ながら歩くこと数分。外観がシルバーに輝く建築が見えてきた。葛飾北斎の作品を専門に展示する「すみだ北斎美術館」だ。北斎の足跡と業績を通覧できる常設展もいいけれど、いまなら企画展示「茂木本家美術館の北斎名品展」を観ることができる。

シルバーに輝く「すみだ北斎美術館」へ

富士山の魅力を引き立てる北斎の演出

 展名に含まれる茂木本家美術館とは、千葉県野田市にある美術館のこと。葛飾北斎の一大コレクションを有しており、それら名品を一堂に並べたのが今展となっている。

 展示のメインとなっているのは、北斎が手がけた仕事で最も著名な版画「冨嶽三十六景」シリーズ。ここで北斎は江戸を中心として、さまざまな場所から見える富士山の姿を描いている。多少の誇張やフィクションがまぶされているとはいえ、江戸のころは現在よりずっと広範囲で富士山を望めた証左にもなっている。

葛飾北斎 「冨嶽三十六景 甲州石班沢」 後期 茂木本家美術館蔵

 どの絵柄にも当然ながら大小さまざまな富士の姿が含まれている。画面のどこにあってもその優美な三角形は、不思議なほど強く存在を主張してきて、すぐ目に飛び込んでくる。思えば東海道新幹線に乗っていても、東名高速道路を走っていても、多くの人は富士山が「見えた!」「見えない……」と大騒ぎする。これほど人心を惑わす山も他にない。

 いったい富士山の何がそれほど人の心を捉えるのか。謎は残るが、北斎も間違いなく富士に魅せられたひとりだったのだろう。版画シリーズの主役に富士山を据え、一つひとつの富士をまこと丹念に描いていることからそれがわかる。

 たとえば、シリーズを代表する一枚《冨嶽三十六景 凱風快晴》は、画面内にドンと大きく富士を描いてある。その稜線の、なんとまあ美しいことか。一作の魅力の中心はまさにそこにある。作中の富士の稜線は、実物よりもずっと急勾配に描かれている。これは北斎が見栄えを整えた結果である。

葛飾北斎 「冨嶽三十六景 凱風快晴」 前期 茂木本家美術館蔵

 富士の人を惹きつける霊験あらたかな力に、北斎の絵師としての図抜けた演出力が加わったことで、描かれて優に150年を超えてもなお魅力が減じない作品となっているのだ。