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純文学とは「人はなぜ生きるのか」なんてことよりも、もっとくだらなくて、野蛮で面白くて、「人はなぜ生きるのか」という問いも馬鹿に出来るもの。

――高校生でデビューして、どんどん純文学として洗練させていったら人に読まれなくなって、そして今回は洗練しつつもエンタメ性を高めて読まれるように工夫して。その執筆途中で『スクラップ・アンド・ビルド』(15年文藝春秋刊)で芥川賞を受賞したわけですが、何かそれがこの作品の執筆に影響を与えませんでしたか。

スクラップ・アンド・ビルド

羽田 圭介(著)

文藝春秋
2015年8月7日 発売

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羽田 第一稿はとっくに書き上げていて、最終バージョンと9割以上変わらない状態で直しに悩んでいる最中に、受賞したんです。でも芥川賞を受賞していなかったら、この作品でもっともっと自分の考えていることを全部表現しようとして、なかなか自分の手を離れなかったでしょうね。余分な要素は削っていきました。

――批判や風刺がこもっているし、最後にコンテクストに対する向き合い方への主張も伝わってくるし、この設定だから伝わってくるものがありますよね。かつ、750枚を一気読みさせる面白さがある。

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羽田 実は最初の段階で1300枚あったんですよ。こんなに直して削った作品は初めてです。500枚近くドブに捨てるなんて。1300枚を1000枚にした時はわりと妥当な直しだったと思います。そこから編集者とやりとりして200枚削ることになったんですが、どっちが正しいかいまだに分かりませんね。数年後には削らなかったほうがよかったと思うかもしれないし、さらに月日が経ったらこっちでよかったと思うかもしれない。永遠に分からないと思います。

――今回はエンタメ小説とも言いたくなるし、でも純文学でもあるわけですよね。ご自身ではどういう感覚ですか。

羽田 どっちか分からないですよね。でもこれ、エンタメの小説誌にはたぶん載らないですよね(笑)。

――もともと小説を書こうとした時に、それまで主にエンタメを読んできたのに、純文学を書こうと思われたんですよね。高校生の頃。

羽田 そうです。綿矢りささんが純文学の文藝賞でデビューしたのを知って、自分も純文学を書いてみようと思いました。でもデビュー作の『黒冷水』も原稿用紙400枚とかあるんですよね。400枚で受け付けてくれる純文学の雑誌は『文藝』しかなくて。でもそれで純文学でデビューしたので、そこから無理やり純文学をたくさん読んで勉強しました。

――その時に読んだのが中村文則さんの『銃』だったという話は前にもうかがいましたね。

羽田 そう。こういうのが純文学なんだと思ったという。そもそも中学生の時から埼玉から東京の学校に通っていたので、毎日2時間くらい本を読む時間があったんです。それをずっとやってると、紋切り型のエンタメに飽きを感じるようになったんですよ。なんか、数行先に書いてある描写がずっと予測できるのが耐えられなくなってきて。物語の大筋が見えるのはいいんですが、数行先の文章がずっと予測できるのは小説ではない。そんな時に純文学とかを読むと、なんか自由だなと感じたんですよね。昔は純文学というのは小難しいものだと思っていたけれど、高校の終わりくらいから難しいのではなく、わりと自由に書いているんだなということが分かって、憧れが強くなりました。

――そう、純文学というと小難しいものだと思っている人って大勢いますよね。私、この間、文芸関係ではない人から「人はなぜ生きるのかというテーマで書かれたのが純文学ですよね」と言われてびっくりしてしまって。羽田さんだったら純文学とは何か、どう説明しますか。

羽田 文章の表面の面白さの小説だと思います。「人はなぜ生きるのか」なんてことよりもっとくだらなくて野蛮なことが書かれていて、でもそこに書かれていることだけで面白い。「人がなぜ生きるのか」みたいな問いを馬鹿にするようなことも、学校教育に反するようなことも平気で書かれていて面白い。つまりは文章で楽しませてくれるもの、ということだと思いますけれどね。

――そう、そうですよね。

(2)に続く