ゾンビ映画を1日1本観続けて感じた閉鎖的な感覚。それは純文学の世界と似ていた。
――芥川賞受賞から1年と少し。そろそろ新作が読みたいなと思っていたら、どーんと出たのが実に750枚の大作『コンテクスト・オブ・ザ・デッド』(2016年講談社刊)。とてもいいタイミングで刊行されたなと思いましたが、書き始めたのは受賞よりもっと前ですよね。
羽田 そうです。書き始めたのは3年半前くらいからですね。その頃は新刊を出してもどこの書店にも置いてもらえず、何をやっても何のリアクションもないという状態で。その時に、もう映像化とか賞とかは関係なしに自活していく作品として何か書こうと思って、ちょっとエンタメ要素のある小説を書くことにしたんです。
――というわけで、ゾンビサバイバル小説となったわけですか。
羽田 そうですね。当時は外に出る仕事も少なかったので、自宅でずっと本業の仕事をしていたんです。自分で気分転換をしなくてはいけないので、自炊したり、自宅のプロジェクターで映画をたくさん鑑賞していたんです。だいたい1日1本観ていて、その時にゾンビ映画をたくさん観ました。昔からよく観ていたのでもう一度見返したり、2000年代に作られた新しいゾンビ映画を観たりしていると、全部が面白いわけではなく、つまらないものも多かったんですね。なんでそんなにつまらないのかというと、ゾンビに噛まれたらゾンビになるというお約束を、何も考えずに設定として使っているんです。無自覚に先行作品の真似をしているものが多くて、それはとても閉鎖的だなと思ったんです。そんなことをしていたらゾンビ映画に興味がない人は、そこからもう先は観なくなるだろうと思いました。
その感覚が何かに似ているなと思ったら、自分が日ごろどっぷり浸かっている純文学と似ているんですよ。自分もプロとして十数年やっているうちに文芸誌の評論家に受けるとか、同業者の小説家から認められるような作品を書きがちになってきたなと感じていました。だから昔より文芸誌の批評でコテンパンにやられることはなくなったんですが、でも当時自分が出した本の中で一番売れていたのが、高校生の素人だった自分が書いたデビュー作の『黒冷水』(03年刊/のち河出文庫)なんですよ。日頃あまり本を読まない友人たちも、僕が出した本の中でどれが一番面白いかといったら、『黒冷水』だと言う人が多い。一般の人にとっては、素人であった自分が書いたものが一番面白いんですよ。自分はデビューしてから、プロになったからにはスキルを上げなくてはと思っていろいろ勉強したので、その後に書いたもののほうが洗練されているはずなのに。つまり何かを洗練させていくと、外側にいる人からは理解されなくなる可能性をはらんでいるんです。これは純文学だけではなくて、ありとあらゆる業界にもあてはまるだろうと思いました。それを、ゾンビ映画に組み込んで書こうとしたんです。
作中で作家に「あんた、生きてんのか死んでんのか、わかんねえよ」という言葉も出てきますが、作家に限らず社会的にそう感じている人はたくさんいる。自分だって芥川賞を受賞した小説はたくさん売れましたが、それ以前は単に後ろにいる出版社に生かされていたんだなと思うし。
――最初から大作にするつもりだったんですか。ご自身の作品の中で一番長いですよね。
羽田 長篇を書くつもりでしたね。イメージとしては吉村萬壱さんの『バースト・ゾーン』。SFの設定で、第一部が国内、第二部が大陸、第三部がまた国内に戻る構成で。それに加え椎名誠さんの『アド・バード』のような、異常世界の壮大な話にしようとは思っていました。