「小鼻がふくらむ」という現象に、私は妙に注目してしまうんですね。小鼻に魅せられていると言ってもいい。小鼻ほど微妙なかたちで人間の感情が表現される部位はない。その動きのひとつひとつに魅了されてしまう。自分の小鼻もそうですし、人の小鼻もそうです。小鼻の動きを見ていると、人間は「社会動物」なんだと思わされる。小鼻で表現される感情こそが人間社会なのだという気もするほどです。

流行のアイドルが分からないと小鼻がふくらむ

 きっかけは十五年ほど前のことでした。当時、私は高校生だったんですが、その頃に「モーニング娘。のメンバーが分からない」という半分ネタのような発言があったんですね。ちょうど『LOVEマシーン』がヒットして、モーニング娘。が大ブレイクしてた時期なんですが、その頃に一部のオッサンたちが言っていました。

「俺さあ、モーニング娘。のメンバー、全然わかんないんだよね」

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 みんな妙に嬉しそうでした。小鼻がヒクヒク動いていました。十代の自分は何なんだと思ってました。私はとくにモーニング娘。が好きというわけでもなかったが、普通に暮らしてりゃあ、メンバーの顔と名前くらいは一致する。なのにオッサンはそれが分からないと言い、妙に嬉しそうにしている。なんなのか? なぜ小鼻をふくらますのか?

 しかし三十歳を過ぎた今、なんとなく理解しはじめたわけです。というのは、現在、私はAKBのメンバーが全然わからないんですが、それがちょっと嬉しいんですね。話を振られた時、「俺さあ、AKBのメンバー、全然わからないんだよね」と自慢げに言ってしまう。もちろん小鼻もふくらんでいる。あの日オッサンの小鼻がふくらんだように、十五年の時をへて、私の小鼻もふくらんでいるわけです。

 これ自体は単純で、要するに「流行がわからないことが嬉しい」という心理だと思います。あんまり堂々と言うことじゃないが、そういう心理はある。「流行のアイドルとか全然わからないんだよ」と言いたくなる心理。しかし露骨によろこぶわけではなく抑制している。そんな感情の着地点として、小鼻がある。こういう微妙な感情は小鼻で表現される。だからこそ私は小鼻に注目するわけです。

「LOVEマシーン」のモーニング娘。(1999年) ©時事通信社

口で表現されなかった感情が小鼻で表現される

 ここで人間の顔について確認しておきたいんですが、口というのは巨大な穴ですね。あれは顔面にあいた巨大な穴です。内側には歯なんてものも生えていて、冷静に考えてみると訳が分からない。しかし、あの巨大な穴が感情表現の主役です。たとえば「爆笑」という現象は口で起きます。私は自分が爆笑している状態をできるだけ冷静に観察してみたことがあるんですが、笑いの衝動は、はじめは腹のあたりで生まれてるんですね。

 「お腹が痛くなるほど笑う」とか「腹筋が鍛えられる」という表現もあるように、笑いは腹と関わってます。その衝動が腹からグーッと上のほうに進んでいって、口という穴で爆発する。これが「口を大きくあけて笑う」ということです。「爆笑」ですね。これを笑いのストレートコースだとすれば、「AKBのメンバー全然わからない」における笑いは違います。口元では爆発しない。

 そりゃ当然で、AKBのメンバーがわからないことに自分で爆笑している人間がいれば、どうかしていると思ってしまう。なので口元は引き締められている。それでも腹で衝動は生まれている。それがグーッと上昇してきている。すると、口で爆発するはずだった感情は、行き場を失なって、すこし上の鼻において、小さく爆発する。これが「小鼻がふくらむ」という現象です。ちなみに、少しだけ口元にも出た場合は「ニヤニヤ」です。小鼻ヒクヒク、口元ニヤニヤです。

流行がわからないことが嬉しい状態 ©iStock.com

 笑いだけでなく怒りもそうで、怒りの衝動もまずは腹で生まれる。「はらわたが煮えくりかえる」なんて表現もあります。やはり出発点は腹です。ここでも怒りの衝動は表現される場を求めて、グーッと腹から上昇していきます。それが口ではじけたときは、「怒鳴る」という現象が起きます。「怒りの咆哮」ですね。しかしもちろん、人はそう簡単に怒鳴ったりしない。

 さまざまな事情で怒りをおさえるのが社会動物としての人間です。すると怒りの衝動も口では爆発せずに、小鼻で表現される。口元は引き締められているのに、小鼻の動きで怒っていると分かる。「小鼻がふくらむ」というのは、怒りをおさえた結果のこともあるわけですね。この場合も、口という巨大な穴で表現されなかったものが、小鼻で処理されている。

 人間というのは、年をとるほど感情と抑制の板ばさみになっていくと思うんですが、それを象徴するのが小鼻という部位だと思うんですね。爆笑や咆哮のかわりに、小鼻をヒクつかせる。だから小鼻は人間社会の象徴だと私は考えるのです。しかしこう考えてみると、小鼻というのも難儀な部位で、口の尻ぬぐいばかりさせられているわけですね。「口の尻ぬぐい」というのも変なことばで、口なのか尻なのか、よく分かりませんが。