1ページ目から読む
3/4ページ目
「茅場、横切ってます」「間違いね、熊」
10倍の拡大ができる双眼鏡を手渡され、「これで見つけろ」と言われてひとつずつ山を眺めていく。熊というのはどれくらいの大きさで見えるものなのか。どんな色をしていて、どれくらいの速さで動くのか。まったく見当がつかないなかでものを探す行為は心許なかったのだが、「一目見てみたい」という好奇心と興奮で一日中双眼鏡を眺めていることができた。
私が野生の熊をはじめて目撃したのは、猟師が「茅場(かやば)」と呼ぶ山の斜面(雪崩で土砂が崩れたために木が流れてしまった場所に新しく草が生えはじめた場所)でのことだった。熊とは川を挟んで250メートルほどの距離があり、肉眼では動いている黒い点が見える、という程度である。だが、その「黒さ」というのが、濃く、日光に当たると艶めくような色合いで、「なにかがいる」というのはよく分かる。双眼鏡を覗き「ク、マ……?」と言うと、猟師は「どこや」と同じように双眼鏡を目に当てた。「茅場、横切ってます」「間違いね、熊」
彼は私に「(車から)降りるな、じっと見てろ。見逃すな」と言って車のドアを開け、鉄砲をかついで杉林に入っていった。
私がはじめて目にした熊は、冬眠あけで山の斜面に芽吹き始めた新芽を食べていた。しかし、次の瞬間には銃弾に倒れて動かなくなった。その一連の出来事を、私は文字通り固唾をのんで見つめていて、どのくらい時間が経ったのか、自分がどんな状態だったのか、よく覚えていない。ただ、今でも、脳裏には映画のワンシーンのようにはっきりとその熊の姿が焼き付いている。