熊が里に出没することが珍しくなくなってきた理由
秋と春には熊を狩り、熊肉を調理し、毛皮で身の回りのものをこしらえ、肉のほかにも油や胆のう(熊の胆)を売って生計を立てていた「マタギ」。彼らがいた時代は、消え去ったと思われているかもしれない。しかし、人と熊の関係というのはまだまだ終わっていない。さらに、まちの住人たちが熊に遭遇する機会などなかった時代が長らく続いてきたが、十数年前から、熊が里に出没することも珍しくなくなってきたという。秋にミズナラやブナが十分に実をつけなかった年、熊は餌不足で里におりてくる。大野市では平成16年(2004年)にはじまり、それ以後平成18年(2006年)からおおむね4年周期だという。「オリンピックみたいなもんや」と地元の猟師に教えてもらった。
里に降りてきた熊は、人家に近いまちなかに出没して人々に危害を加える可能性がある場合は捕えてしまうのであるが、基本的にはドラム缶の檻で捕獲して、奥山に放獣する。ここまで熊が身近にいる生活を経験したことがなかった私は、幸か不幸かひとびとの暮らしの一部となっている熊について、急速に興味をもつようになっていた。
今年4月、野生の熊を狩りに行くというので、猟師の車の助手席に乗り、廃村になった集落に向かった。50年以上前には11ほどの集落があった土地だが、豪雨とダムの建設により廃村になった。今はダムへと続く河川、湖沿いに奥深い山々が広がる。福井県大野市ではツキノワグマの生態調査と狩猟文化の育成のために4月の1カ月間、決まった頭数のみ捕獲が認められている。
はじめて春熊を狩りに出かけたある晴れた日、猟師の男性に山の地形と見るべきポイントについてひとつずつ教えてもらった。私にとってはどこまで進んでも見分けのつかない「山」なのだが、それぞれの尾根や谷にも細かく名前がついており、名前のない場所であっても「3年前の春に3人で巻狩(※)して100キロ級の熊をしとめたあの谷」などとエピソードで伝えると、他の猟師にもピンポイントで場所が伝わるようになっている。