私が陛下に初めてお会いしたのは1975年のことです。国際ロータリー交換留学生として学習院高等科に入学し、同校の2年生になりました。

 先生の勧めでクラブ活動の地理研究会に入ると、陛下がいらっしゃいました。将来の天皇陛下が高等科の1年生にいるとは聞いていましたが、自分が同じ部活仲間になるとは考えてもみませんでした。

アンドルー・B・アークリーさん ©文藝春秋

2泊3日の研修旅行で能登半島へ

 地理研では、夏休みのあいだに夏季巡検という2泊3日の研修旅行があり、その年は36人で能登半島へ出かけました。昼過ぎに金沢駅に降り立つと、地元の方たちが約1000人も詰めかけています。

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 私がその光景に呆然としていたら、陛下は歓迎の群衆にむかって笑顔で手を挙げ、バスに乗り込んでいかれました。中等科からの友人たちも、それが当然のように後につづきます。

 翌日の能登半島でも、地元の歓迎ぶりに驚きました。民家の大多数が軒先に日の丸の旗を掲げ、港に出るとたくさんの漁船が色とりどりの大漁旗で出迎えてくれたのです。陛下はもちろん、いつもの笑顔で応えていらっしゃいました。

「即位後朝見の儀」から感じた陛下の覚悟

 当時の日記を開くと、「宮さまはかわいそうだと思う」と書いてあります。行く先々で見る大歓迎は、留学生の私にはそれぐらい衝撃的でした。しかし陛下は、能登の砂浜を一緒に歩くと、「きれいな景色で気持ちいいですね」と穏やかに話されます。そのふだんと変わらないご様子にも驚かされました。

天皇陛下と砂浜を歩くアークリーさん

 今年の5月1日に「即位後朝見の儀」をテレビで拝見しながら、能登半島の旅を思い出しました。歓迎の群衆に囲まれても、動じることのないお姿。「あの頃から、いずれこの日を迎える覚悟がおありだったんだ」といまさらながら感じました。

 私の帰国が近づいた76年のお正月には、当時の東宮御所にお招きいただき、上皇陛下と美智子さまとご一緒しました。オーストラリア出身なので英国王室には親しみを感じていた私も、日本で皇室の方々とお近づきになろうとは留学前に想像もしなかったことです。