天皇陛下が即位を国内外に正式に示す「即位の礼」が10月22日に行われる。当日は世界から160国を超える国と国際機関の元首や祝賀使節、代表が参列する。その顔触れには、現在の国際社会における日本の「地位」と「力の所在」とともに、皇室外交の蓄積が映し出される。
これまで発表された顔触れは、米国のペンス副大統領、中国の王岐山副主席、トルコのエルドアン大統領、トーゴのニャシンベ大統領、ミャンマーのアウン・サン・スー・チー国家顧問兼外相といった首脳のほか、英国のチャールズ皇太子、オランダのウィレム・アレクサンダー国王、ベルギーのフィリップ国王など、皇室が交流をもってきた各王室の国王、王族たちだ。このうちチャールズ英皇太子とニャシンベ大統領は前回の「即位の礼」(1990年11月)にも列席していて、2回連続の参加となる。
昭和天皇の「大喪の礼」にオランダが王族を参列させなかった理由
この顔触れの中で、オランダのウィレム・アレクサンダー国王とマキシマ王妃の列席には感慨深いものがある。昭和天皇の「大喪の礼」(1989年2月)のとき、オランダ政府はファン・デン・ブルック外相を参列させたからだ。欧州の王室で、王族を参列させなかったのはオランダだけだった。
これにはオランダの厳しい対日世論があった。大戦中、日本軍は緒戦で蘭領インドネシアを占領し、オランダの婦女子を含む約9万人の民間人と、約4万人の戦争捕虜と軍属を強制収容所に入れた。占領中、食料不足や風土病で約2万2000人が亡くなった。死亡率は約17%に上り、これはシベリア抑留で亡くなった日本人捕虜の死亡率(約10%)より高かった。
大戦後、オランダ植民者は一切合切を失って引き揚げた。しかしオランダ政府は、本国のユダヤ人住民やロマが大戦中にドイツから受けた被害は手厚く補償したが、引き揚げ者には何の補償もしなかった。これは引き揚げ者の間に「政府から冷たい仕打ちを受けた」との鬱屈した感情を植え付け、日本への恨みをより深いものにした。そのため、「大喪の礼」の時には、日本に使節を送らないよう求めるデモまで起きた。