『火花』でお笑い芸人、『劇場』で演劇青年を描いた又吉さんは、初の長篇小説で、文章と絵を生業とする人物を主人公に据えた。
「『火花』の最後の方に“生きている限り、バッドエンドはない。僕達はまだ途中だ”と書きました。自分自身、その言葉の意味をずっと考えているうち、人は多くの場合、青春の後の人生の方がずっと長い、ということに気付きました。それで今回は、かつて若かった男の“その後も続く人生”を書こうと思ったんです」
主人公の永山は、本作を書き始めた頃の又吉さんと同じ38歳。漫画家に憧れて上京したが、今は細々とエッセイとイラストをかきながら暮らしている。彼は20代の頃、仮借ない自画像ともいえる画文集『凡人A』を発表して注目を浴びた。3部からなる小説『人間』の第1部では、永山が『凡人A』を世に問うた頃が回想される。美大生や芸大生ら、クリエイターを目指す若者が暮らす共同住宅「ハウス」での友情、恋愛、嫉妬に塗れた泥臭い人間模様は、読む者に自らの無様な「青春時代」を思い出させる。永山になにかと絡む同い年の仲野太一は、真夜中のファミレスで「おまえは絶対になにも成し遂げられない」と浴びせてくる。
「ものを創って見せる、という仕事をしていると、近いことを言われることはよくあります。永山は創作すること自体に悩んだり行き詰ったりしますが、仲野は一番に“どう立ち回るとクリエイターらしく見えるか”を考えるタイプ。本質的な部分にズレがあるんです。僕が芸人になりたての頃、一緒にいるけれどお互いに認め合っていなかったり、嫉妬していたりという空気はよく憶えています」
第2部には又吉さんの分身のような「影島道生」が登場する。影島はお笑い芸人コンビの片割れで、初小説で権威ある文学賞を獲る。文壇内外からの嫉妬まじりの論評に晒されるが、コラムニスト「ナカノタイチ」の「ポーズ・影島道生は芸人であることを放棄したのか?」という記事に突如、ブログで猛反撃を始める。
――マラソン中継見てたら、たまに歩道を全力で走ってテレビに映ろうとしてる馬鹿いてるやろ。おまえあれや。頼むから走者の邪魔だけはすんな――
「影島は最初から設定していた人物ではなく、書いていたら出てきました。永山と補完し合うというか、似ているけど、永山より辛辣に物を言う。僕自身は小説そのものへの批判だったら喰らいますけど、周辺の事をあれこれ言われても受け流そうと思ってきました」
仲野と影島の論争の背景を知った永山は、十数年ぶりに本気の作品『脱皮』を発表する。本は随筆の新人賞を受け、親戚らの祝賀会に出るため、第3部、永山は両親のルーツ・沖縄へ飛び、「ものを創る」という呪縛から自由で、“人間”的に暮らす父親や母親らと一緒に過ごす。
「永山が今後自意識を捨て、両親のように逞しく、ただ生きていく、ということは絶対に無理です。でも彼が人生の今の段階で、久しぶりに親と向き合った、ということは無意味ではないと思うんです。彼は東京に戻りますが、その後の人生は、影島のように苛烈なものになるのか、もしかして恋愛や結婚があり得るのか、まだ僕にも分らない」
真っ向勝負の書名だ。
「『人間』という言葉が好きなんです。何かを含んだり、はずしたり、掴みきれない言葉だなと思っていて。太宰治は38歳で『人間失格』を書いた。根性あるな、と思う。僕も、先延ばしせずに、挑戦してみました」
またよしなおき/1980年、大阪府生まれ。吉本興業所属の芸人。お笑いコンビ「ピース」として活動中。2015年『火花』で芥川賞を受賞。他の著書に『劇場』『東京百景』『第2図書係補佐』等、共著『新・四字熟語』『芸人と俳人』がある。