文化人類学者の小川さやかさんは、未来を計画せずに生きる暮らしと経済を描いた『「その日暮らし」の人類学』で注目を集めた。本書では、香港で商売を営むタンザニア人たちの逞しい生を、文化人類学の手法を使って調査した。
「私はもともとタンザニアで古着商人の研究をしていたのですが、2000年代後半になると、中国製の安価な衣料品、見たことがあるけどちょっと違うロゴがついているような新品がアフリカにどっと入ってきたのです。コピー商品って悪いモノだとされるけれど、貧しい彼らが最先端の流行を手にする手段でもあるよなと、関心を持ったんです」
小川さんの興味関心は、やがて中国製品から、それを買い付ける、香港を拠点に活躍するアフリカ系交易人へと移っていく。
「香港は、多くのアフリカ人にとって中国ビジネスの玄関口です。また香港は日本を含め様々な国から中古品が流れて来る、アフリカ人にとって魅力的な巨大な中古品市場でもあります」
小川さんは、2016年秋から香港の目抜き通りにあるチョンキンマンション(重慶大厦)とその周辺の安宿を転々としながら、タンザニアから一獲千金を夢見て渡ってきた男女の参与観察(研究対象とする人々と生活や行動を共にする)を始めた。観察の中心に据えたのは、香港で中古車を買い、母国に卸すタンザニア商人のカラマ。当時49歳で「チョンキンマンションのボス」を自称する彼は、2000年代初頭に香港にやってきた。最初はシトリンやアメジストなどアフリカの天然石を卸す輸出業をしていたが、投機性が高すぎると判断し、撤退。アフリカで大きな需要のある中古家電や中古車の仲買業へとシフトした。ある時、不法就労がばれ、タンザニアに強制送還されるが、戻ってきて、どさくさにまぎれ香港政府から“難民認定”を得た。現在は“合法的”に香港に滞在し、夢破れて一文無しになった若いタンザニア商人の面倒をみたり、シュガー・マミー(アフリカから来た若い男性たちの生活を援助したり資本を融通したりするセックスワーカーの女性たち)の愚痴を聞いている。
「香港でのタンザニア人のネットワークはゆるい“相互扶助”を備えています。ビジネスは時の運。彼らの社会には、その時儲けている人が困っている人を無理のない範囲で助ける独自の仕組みがあります。その仕組みがあるから、助けられた方は負担に思うのではなく、あいつは自分を思ってくれるんだな、と幸せな気分になり(笑)、助けた方も、お返しを期待するのではなく、いずれまた自分も運が悪い時は誰かが助けてくれる、と信じられる(笑)」
彼らの繋がりは期せずしてネット社会との親和性が高かった。
「アフリカと香港を繋ぐ交易の主戦場は、FacebookやWhatsAppなどの一般的なSNSです。グループページに投稿される、最先端ファッション(実は店で試着しただけ)でキメた自撮りや、パーティーなどのイケている私生活の写真にまじり、中古車や中古家電などの商品の写真が流れてくる(笑)。見ている方は、おお、最近カラマは頑張っているなあ、と商品を注文したりする。また、友情に傷がつきますから、アマゾンやメルカリみたいに評価はつけません。その代わり、あの時は助けてくれてありがとう、といった誰かのコメントが客の心を動かしたりするんです」
遊びと渾然一体のビジネス、“騙し騙され”込みで生き抜く才覚――われわれを元気にしてくれるヒントが詰まった1冊だ。
おがわさやか/1978年、愛知県生まれ。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程指導認定退学。博士(地域研究)。立命館大学大学院先端総合学術研究科教授。2011年『都市を生きぬくための狡知』でサントリー学芸賞。